ひろおかあさこ【広岡浅子】 (1849〜1919)明治(めいじ)〜大正時代(たいしょうじだい)の実業家(じつぎょうか)。京都府(きょうとふ)の商家(しょうか)に生(う)まれ,17歳(さい)の時(とき)に大阪(おおさか)の豪商(ごうしょう)と結婚(けっこん)した。明治維新(めいじいしん)の混乱期(こんらんき)に実業家(じつぎょうか)としての才能(さいのう)を発揮(はっき)し,鉱山(こうざん)の経営(けいえい)や銀行(ぎんこう)の設立(せつりつ)にたずさわり,1902(明治(めいじ)35)年には大同生命(だいどうせいめい)の創業(そうぎょう)に加(くわ)わった。日本初(はつ)の女子大学(じょしだいがく)である日本女子大学(じょしだいがく)の創立(そうりつ)メンバーで,大正時代(たいしょうじだい)の女性解放運動(じょせいかいほううんどう)に影響(えいきょう)をあたえた。