県名の由来
江戸時代に城がきずかれた北庄という地名の「北」が敗北につながるとして福居にあらため,それが福井となった。県名は県庁を城下町福井においたことによる。
県庁所在地
県の面積
県の人口
県の代表的な伝統工芸品と祭り
〔伝統工芸品〕
○越前打刃物 ○越前漆器 ○若狭塗 ○越前和紙 ○若狭めのう細工 ○越前焼
〔祭り〕
○宇波西神事(若狭町,4月8日)
位置・地形・気候
福井県は中部地方の西部に位置し,日本海に面している。
県の東部には,高い山々がつらなる両白山地がある。この山地からは九頭竜川・日野川・足羽川が流れ出て,下流にひろがる福井平野で合流し,日本海に注いでいる。南西部は,低い山地になり,リアス海岸の若狭湾に面し,岬や入り江が多い。
気候は,日本海側の気候で,冬は日本海からふきつける季節風の影響で雪が多いが,気温はそれほど低くない。梅雨や台風の影響で,夏の降水量もわりあい多い。
歴史
昔は北部を越前国,若狭湾に面した西南部を若狭国といった。近畿地方に近いこともあって古くから開けていた。
室町時代の末期,応仁の乱後,朝倉氏が一乗谷に城をかまえて勢力をのばした。朝倉氏滅亡後は,柴田氏・佐々氏・前田氏が支配,政治の中心は福井にうつった。
江戸時代には,越前は福井藩(松平氏)と5つの小藩に分けられ,若狭には小浜藩(酒井氏)がおかれた。
明治の廃藩置県で,それらの藩はそれぞれ県となったが,いくつかの統廃合をへて,1881(明治14)年に現在の福井県が成立した。
産業
耕地にしめる水田の割合は90%をこえており,農業は稲作が中心である。米の生産額は農業全体の3分の2をこえる。その中心は福井平野で,昔から,晴天の多い夏のうちに収穫する早場米の産地となっている。米のほかには,海岸の砂丘地で栽培されるラッキョウの生産が多い(2010年全国5位)。
水産業は,県の沖合いが暖流と寒流がぶつかる,日本海有数の漁場になっているため,イワシ・アジ・サバ・イカ・カニ・甘エビなどが水揚げされる。若狭湾ではカキ・タイなどの養殖も行われている。
工業は,古くから発達してきた繊維工業が中心で,ポリエステルの生産量は全国有数である。近年は,敦賀市の化学工業,越前市の電子・電気機器工業も発展している。古くから有名な鯖江市のめがね枠の生産は,全国の約94%をしめる。
若狭湾沿岸には,原子力発電所が多数立地し,近畿地方などに電気を送っている。
原子力発電地帯となった若狭湾沿岸
古代,若狭は大陸に開かれた表玄関であった。
若狭に上陸した渡来人は,琵琶湖をへて大和の都へ向かう道すじを利用した。したがって,この地方には古い寺や仏像も多く,たとえば若狭神宮寺の「お水送り」の行事は奈良東大寺の「お水取り」と一体のものである。
しかし,近代以後,若狭湾沿岸は開発からとりのこされていた。過疎化が進むこの地域に最初の原子力発電所が建設されたのは1970(昭和45)年のことである。
地盤が安定していること,原子炉の冷却に必要な淡水・海水が得やすいこと,京阪神の電力消費地に近いこと,人家が少ないことなどが,原子力発電所建設の好条件となった。
その後,若狭湾沿岸には,原子力発電所が次々に建設され,福島県南東部の太平洋岸とならんで,日本の原子力発電の一大中心地となった。現在,若狭湾岸では13基(2010年3月31日現在)の原子力発電所があり,安全性と環境への影響などが今後の課題となっている。