ふじわらのみちのり【藤原通憲】 (1106?〜1159)平安時代末期(まっき)の政治家(せいじか),学者。僧名(そうみょう)の信西(しんぜい)でも知られる。祖父大学頭季綱(そふだいがくのかみすえつな)の影響(えいきょう)をうけ学問・才能(さいのう)に秀(ひい)で,『本朝世紀(ほんちょうせいき)』『法曹類林(ほうそうるいりん)』などの書を著(あらわ)した。藤原氏(ふじわらし)の傍流(ぼうりゅう)(南家)出身のため長く不遇(ふぐう)であったが,妻(つま)が乳母(うば)をしていた雅仁親王(まさひとしんのう)が後白河天皇(ごしらかわてんのう)となったため,その後の後白河(ごしらかわ)院政(いんせい)で近臣(きんしん)として政治的(せいじてき)な敏腕(びんわん)をふるうことになる。平清盛(たいらのきよもり)と結(むす)んで摂関家(せっかんけ),源氏(げんじ)をおさえ,さまざまな政策(せいさく)を実現(じつげん)しようとした。しかし一方の近臣藤原信頼(きんしんふじわらののぶより)にうとまれ,平治(へいじ)の乱(らん)で殺害(さつがい)された。⇒後白河上皇(ごしらかわじょうこう),平治(へいじ)の乱(らん)