ふじわらのやすひら【藤原泰衡】 (1155もしくは1165〜1189)平安時代末期(まっき)〜鎌倉(かまくら)時代初期(しょき)の武将(ぶしょう)。奥州藤原氏(おうしゅうふじわらし)第4代(最後(さいご))の当主。源頼朝(みなもとのよりとも)の強い要請(ようせい)によって,父の秀衡(ひでひら)が平泉(ひらいずみ)に庇護(ひご)していた源義経(みなもとのよしつね)を殺害(さつがい)した。泰衡(やすひら)は義経(よしつね)の首を差(さ)し出すことで平泉(ひらいずみ)の平和を保(たも)とうとしたが,頼朝(よりとも)はこれを許(ゆる)さず平泉(ひらいずみ)を攻撃(こうげき)し,栄華(えいが)を誇(ほこ)った奥州藤原氏(おうしゅうふじわらし)の邸宅群はすべて焼(や)きつくされた。泰衡(やすひら)は頼朝軍(よりともぐん)から逃(のが)れ北海道(ほっかいどう)に渡(わた)ろうとして敗走(はいそう)したが,郎党(ろうとう)であった河田次郎(かわだのじろう)に殺害(さつがい)された。