*フランクおうこく【フランク王国】


西(にし)ヨーロッパの大部分(だいぶぶん)を支配(しはい)したフランク族(ぞく)の国(くに)(481〜987)。

メロビング朝

民族大移動(みんぞくだいいどう)で今(いま)のドイツからフランスへうつったフランク族(ぞく)を,初代(しょだい)の王(おう)クロービスが統一(とういつ)し,キリスト教(きょう)の正統派(せいとうは)に改宗(かいしゅう)してローマ教会(きょうかい)の支持(しじ)をうけた。かれの死後(しご),王国(おうこく)は息子(むすこ)らが分割(ぶんかつ)して王権(おうけん)は弱(よわ)まったが,732年(ねん),王家(おうけ)の重臣(じゅうしん)カール=マルテルは,イスラム軍(ぐん)の侵入(しんにゅう)をツール=ポワチエの戦(たたか)いでやぶった。

カロリング朝

初代(しょだい)のピピンはカール=マルテルの子(こ)で,751年(ねん)王位(おうい)をうばい,ローマ教皇(きょうこう)に領地(りょうち)を寄進(きしん)した。その子(こ)カール大帝(たいてい)は今(いま)のドイツ・フランス・イタリアにまたがる大帝国(だいていこく)を建設(けんせつ)し,800年(ねん),教皇(きょうこう)からローマ皇帝(こうてい)としての冠(かんむり)をさずけられた。その後(ご),843年(ねん)のベルダン条約(じょうやく)による分割相続(ぶんかつそうぞく)や,ノルマン人(じん)の侵入(しんにゅう)でおとろえた。

コーチ

分裂(ぶんれつ)後(ご),西(にし)フランク王国(おうこく)では,987年(ねん)にカロリング朝(ちょう)が絶(た)えてカペー朝(ちょう)に代(か)わり,これ以降(いこう)はフランス王国(おうこく)とよばれている。

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