明治時代初期に,西洋文明を急速にとりいれて近代化していった動き。
西洋文明の流入
明治政府は,日本の近代化を進めるため,欧米諸国の制度や技術などをさかんにとりいれた。このため,明治時代初期には,欧米の文化が急速に流入し,風俗や衣食住にも大きな変化がおきた。しかし,こうした動きは都市中心で,農村にはあまりいきわたらなかった。
コーチ
西洋文明のうわべだけのまねにすぎないものも多かった。
文明の内容
(1)教育・思想…無学な者をなくそうとして学制が発布され,近代的な学校制度が生まれて,高等教育機関も誕生した。本木昌造が鉛の活字による活版印刷を開始し,新聞や雑誌が急速に発達した。福沢諭吉・中江兆民らによって西洋の自由・平等の近代思想が紹介され,のちの自由民権運動に大きな影響をあたえた。
(2)生活の変化…1872(明治5)年に太陽暦を採用し,やがて1日24時間制や七曜制も実施。断髪令が出されて,ちょんまげ頭はザンギリ頭にかわった。都市では,れんがづくりの洋風建築がたちならび,舗装された道路を,鉄道馬車や人力車が走るようになった。ガス灯やランプが使われ,洋服を着て帽子をかぶり,靴をはく人もふえた。懐中時計やこうもり傘をもつことは紳士の誇りとされ,牛肉・牛乳・パン・西洋料理などが食生活にとりいれられた。