794年に桓武天皇が都としてから1869(明治2)年に明治天皇が東京に遷都するまでの都。現在の京都市にあたる。
〔平安京にうつる〕
奈良時代後期には,公地
公民制のくずれ,
貴族の
争い,
僧の
政治への進出(
道鏡ら)など,
政治がみだれるようになった。
律令政治を
再建するため,人心を一新しようとした
桓武天皇は,784年に都を
平城京から
長岡京(
京都府)へうつした。しかし,都づくりの
責任者が
暗殺され,
不吉な
事件がつづき,
水害の
危険も多いため,
和気清麻呂のすすめで,794年に都を平安京にうつした。この地はなだらかな山にかこまれた
盆地に
鴨川などが流れ,
唐(中国)の都
長安(今の
西安)や
平城京にならって,東西
約4.6km,南北
約5.3kmの都がつくられた。
北端の
大内裏には
重要な
儀式を行う
朝堂院や
皇居,いろいろな役所がおかれた。中央を南北に
朱雀大路を通し,東を
左京,西を
右京に分け,ごばんの目のようにととのった町づくりが行われた。
〔平安京の歩み〕
平安京がおかれた
京都は,794年から1192年までの平安時代の
約400年間,
政治や文化の中心としてさかえた。
鎌倉時代は
政治の中心が
鎌倉にうつったが,
皇居は
京都におかれていた。
室町時代に
応仁の
乱の
兵火にかかって,
京都の大半が
焼失したが,
織田信長・
豊臣秀吉らによって
復興されている。
江戸時代には三都の1つとして,
西陣織などの
美術工芸や商業が
発達した。
皇居は794年
以来約1100年間
京都におかれたが,
明治維新後,
東京にうつされた。
年代暗記
平安京にうつる…
泣くよ(794)坊さん,平安京