*へいのうぶんり【兵農分離】 戦国(せんごく)時代末期(まっき)から安土桃山(あづちももやま)時代にかけて行われた,武士(ぶし)と農民(のうみん)(百姓(ひゃくしょう))との身分上・地域(ちいき)上の区別(くべつ)。戦国(せんごく)大名が城下町(じょうかまち)を中心に領国(りょうごく)を支配(しはい)するようになると,領国(りょうごく)内の家臣(かしん)と農民(のうみん)を支配(しはい)するために,農村に住んでいた家臣(かしん)(武士(ぶし))を城下町(じょうかまち)に集める一方,農民(のうみん)を土地にしばりつけていった。コーチ とくに豊臣秀吉(とよとみひでよし)の行った刀狩(かたながり)や太閤検地(たいこうけんち)などによって,徹底的(てっていてき)に兵農分離(へいのうぶんり)が進められ,江戸(えど)時代における武士(ぶし)と百姓(ひゃくしょう)・町人の身分制度(せいど)の基礎(きそ)がかためられた。