ベルリンのかべ【ベルリンの壁】 1961年8月,旧(きゅう)東ドイツ政府(せいふ)が国民(こくみん)の西側諸国(がわしょこく)へ脱出(だっしゅつ)するのをふせぐ目的(もくてき)でつくった壁(かべ)。ベルリンの壁(かべ)はながく東西冷戦(れいせん)の象徴(しょうちょう)といわれてきた。しかし,1989年夏以降(いこう),旧(きゅう)東ドイツの旅行者がハンガリーなど東ヨーロッパ諸国(しょこく)をへて大量(たいりょう)に西側(がわ)に亡命(ぼうめい)しはじめ,政府(せいふ)も止めることができなくなった。その後,民主(みんしゅ)化要求(ようきゅう)のデモや集会も開かれ,旧(きゅう)東ドイツ政府(せいふ)も同年11月,国民(こくみん)の旅行と移住(いじゅう)の自由化にふみきり,ベルリンの壁(かべ)はとりこわされた。その後,東西両ドイツの統一(とういつ)への流れは一気に高まり,1990年10月,統一(とういつ)が実現(じつげん)した。