ほうじょうたかとき【北条高時】 (1303〜1333)鎌倉(かまくら)時代末期(まっき)の武将(ぶしょう)。13歳(さい)で鎌倉幕府(かまくらばくふ)の執権(しっけん)となったが,妻(つま)の父や家臣(かしん)に政治(せいじ)の実権(じっけん)をにぎられ,みずからは飲酒や闘犬(とうけん)・田楽(でんがく)(笛や太鼓(たいこ)を鳴らし舞(ま)い歌う芸能(げいのう))にふけったため,政治(せいじ)はみだれた。のち執権(しっけん)をしりぞいて出家したが,なお背後(はいご)で政治(せいじ)にあたる。1333年5月新田義貞(にったよしさだ)らに鎌倉(かまくら)を攻(せ)められ,鎌倉東勝寺(かまくらとうしょうじ)で一族とともに自害(じがい)。鎌倉幕府(かまくらばくふ)も滅亡(めつぼう)した。