ほうじょうまさこ【北条政子】 (1157〜1225)時政(ときまさ)のむすめで,源頼朝(みなもとのよりとも)の妻(つま)。頼朝(よりとも)が平治(へいじ)の乱(らん)にやぶれて伊豆(いず)国(静岡(しずおか)県)に流されているときに結婚(けっこん)し,頼家(よりいえ)・実朝(さねとも)を生んだ。頼朝(よりとも)が鎌倉幕府(かまくらばくふ)をつくるのを助け,頼朝(よりとも)の死後は尼(あま)(出家した女性(じょせい)のこと)になって,政治(せいじ)の実権(じっけん)をにぎり,尼将軍(あましょうぐん)といわれた。コーチ 承久(じょうきゅう)の乱(らん)のとき,将軍(しょうぐん)家の恩(おん)を説(と)いて東国武士(ぶし)を京都(きょうと)に攻(せ)め入らせた話は有名。