ほくぎ【北魏】 中国,後漢(ごかん)滅亡(めつぼう)後の分裂(ぶんれつ)時代に華北(かほく)を統一(とういつ)した,北方異民族(いみんぞく)の王朝(386〜534)。鮮卑(せんぴ)族の拓跋氏(たくばつし)がひらき,439年に華北(かほく)を統一(とういつ)。493年には孝文帝(こうぶんてい)(在位(ざいい)471〜499)が都を大同(タートン)から洛陽(ルオヤン)にうつした。孝文帝(こうぶんてい)は鮮卑(せんぴ)人の固有(こゆう)の風俗(ふうぞく)・言語を禁(きん)じてまで,中国の農耕(のうこう)社会への適応(てきおう)をはかり,中央集権(しゅうけん)を強め,均田制(きんでんせい)を始めた。コーチ 雲崗(ユンカン)の石仏(せきぶつ)はこの王朝のときつくられた。