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ほそかわもりひろ【細川護煕】

(1938〜 )昭和・平成(へいせい時代の政治(せいじ家,第79代内閣総理大臣(ないかくそうりだいじん陶芸(とうげい家。東京(とうきょう生まれ。旧熊本藩主細川(きゅうくまもとはんしゅほそかわ家の18代目当主。母方の祖父(そふ近衛文麿(このえふみまろ上智(じょうち大学卒業(そつぎょう後,新聞記者を(て,1971(昭和46)年,参議院(さんぎいん議員選挙(ぎいんせんきょ全国区に自由民主党(じゆうみんしゅとう公認(こうにん立候補(りっこうほ当選(とうせん熊本(くまもと県知事を,83(昭和58)年から2期8年つとめる。92(平成(へいせい4)年,日本新党(しんとう結成(けっせい,同年の参議院選挙(さんぎいんせんきょで自身もふくめ4議席(ぎせき獲得(かくとく。93年,衆議院(しゅうぎいん議員(ぎいんに転じて当選(とうせん衆議院(しゅうぎいんでは過半数(かはんすうをもつ政党(せいとうがなかったため,日本新党(しんとう新党(しんとうさきがけがキャスティングボートをにぎるかたちになり,日本新党(しんとう新党(しんとうさきがけ・新生党(しんせいとう・社会(とう・公明(とう民社党(みんしゃとう・社会民主連合(みんしゅれんごう民主改革連合(みんしゅかいかくれんごうの8党派(とうはによる非自民連合(ひじみんれんごう成立(せいりつ細川(ほそかわ総理大臣(そうりだいじんの指名をうけ,93年8月,連立政権(れんりつせいけん発足。自民党(じみんとうとの協力(きょうりょくで,政治改革関連法案(せいじかいかくかんれんほうあん成立(せいりつさせた。その後,国民福祉税構想(こくみんふくしぜいこうそう突然(とつぜんの発表,自身の金銭(きんせん問題などで連立(れんりつ内は対立,収拾(しゅうしゅうをはかる間もなく94年4月辞任(じにん。首相辞任(じにん後は新進党(しんしんとう,フロムファイブ,民政党(みんせいとう新党設立(しんとうせつりつ(かかわる。新しい民主党(みんしゅとう結党参加(けっとうさんか後の98(平成(へいせい10)年,60(さいを区切りとして政界引退(せいかいいんたい細川(ほそかわ家の公益財団法人永青(こうえきざいだんほうじんえいせい文庫の理事長,2つの大学の学園長をつとめる。

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