カンボジアで,1975(昭和50)年から1979年までの間,「民主カンプチア政権」をになった急進的な共産主義勢力。クメール=ルージュ(赤い〈共産主義の〉クメール〈カンボジアの主要民族名〉)ともよばれる。1975年,隣国ベトナムでの戦争が終ろうとするなか,政治指導者ポル=ポトの率いるクメール=ルージュが親米の軍事政権を倒し政権を獲得。国民の農村への強制移住,市場や通貨の廃止など急進的な共産主義政策を断行したが失敗。この間,大量の国民が虐殺された。その後の内戦でポル=ポト派はゲリラ戦を展開,シアヌーク派などとの3派政権にも参加するが1991年の和平調停成立後は衰退し,98年にポル=ポトが死亡して組織は解消したといわれる。◇2008(平成20)年から当時のポル=ポト派による大量虐殺などの人道上の罪を裁くカンボジア特別法廷が開かれている。カンボジア