ほんじすいじゃくせつ【本地垂迹説】 日本の仏教(ぶっきょう)と神道(しんとう)の関係を,仏(ほとけ)や菩薩(ぼさつ)が衆生(しゅじょう)をすくうために神という仮(かり)のすがたであらわれたと説明(せつめい)する考え方。仏(ほとけ)や菩薩(ぼさつ)が本来のすがた(本地(ほんじ))ではなく,神という仮(かり)のすがた(垂迹身(すいじゃくしん))となって人々をすくうという神仏(しんぶつ)同体説(せつ)で,平安時代の初(はじ)めから広まった。たとえば熊野(くまの)権現(ごんげん)の本地は阿弥陀如来(あみだにょらい)というように中世にはすべての神社に本地仏(ぶつ)が定められた。明治(めいじ)の神仏分離(しんぶつぶんり)でこの説(せつ)は衰(おとろ)えた。