まえのりょうたく【前野良沢】 (1723〜1803)江戸(えど)時代中期の蘭学(らんがく)者。豊前(ぶぜん)国(大分(おおいた)県)中津藩(なかつはん)の医者であったが,青木昆陽(あおきこんよう)に蘭学(らんがく)を学び,のち長崎(ながさき)に出て研究を重ねた。杉田玄白(すぎたげんぱく)らと江戸(えど)の小塚原(こづかはら)で行われた死体解剖(かいぼう)を見てオランダ語訳(やく)の医学書『ターヘル=アナトミア』の人体図の正確(せいかく)さに感心し,その翻訳(ほんやく)を決意。玄白(げんぱく)や中川淳庵(なかがわじゅんあん)らと苦心のすえ,1774年に『解体新書(かいたいしんしょ)』を完成(かんせい)させた。◇学者としての良心(りょうしん)から自分の名を出すことをこばんだため,同書には良沢(りょうたく)の名はない。