(1644〜1694)江戸時代前期の俳人。伊賀国(三重県)の武士の家に生まれ,藤堂良忠に仕えて俳諧を学んだ。のち京都に上り,北村季吟の弟子になった。1672年,江戸に出たが,そのころはやっていた談林風の俳諧をとりいれ,しだいに名を知られるようになった。しかし,談林風の俳諧にあきたりないものを感じはじめ,新しい俳諧の創造にうちこみ,「蕉風」とよばれる新しい俳風をうちたてた。門下からは榎本其角や服部嵐雪ら十哲(10人のすぐれた弟子)を出した。
コーチ
何ものにもとらわれない自由な心で
生涯のほとんどを旅にすごし,『おくのほそ道』『野ざらし
紀行』『
更科紀行』などのすぐれた
紀行文をのこした。おもな
俳句は『
俳諧七部集』におさめられている。◇「
梅が
香にのつと日の出る山路かな」「
蛤のふたみに
別かれゆく秋ぞ」「旅に
病で
夢は
枯野をかけ
廻る」