(1835〜1924)明治時代の官僚・政治家,第4・6代内閣総理大臣。薩摩(鹿児島)藩の下級武士の子に生まれる。大久保利通に認められ,明治維新後は大蔵省・内務省の高級官僚として活躍。伊藤博文・黒田清隆・山県有朋の各内閣で大蔵大臣をつとめ,松方財政(デフレ政策)を推進,日本銀行の創設にも尽力した。1892(明治25)年,第4代の内閣総理大臣になり第1次内閣を組閣するが,大津事件,内務省による選挙大干渉の混乱のなか1年2か月で総辞職。96(明治29)年,進歩党の大隈重信を外相にむかえ第2次内閣を組閣,軍備の拡充,政治的自由の実現など一定の成果を上げたが,藩閥閣僚と進歩党の対立を収束できずに97年,1年3か月で総辞職。財政の手腕は評価されるが政治力にはとぼしかった。