(1758〜1829)江戸時代中期の政治家。田安宗武の子で,8代将軍徳川吉宗の孫。白河(福島県)藩主松平家の養子となり,藩主となってからは藩財政の再建につとめ,天明のききんを切りぬけた。1787年に幕府の老中首座にむかえられ,寛政の改革につとめたが,きびしい倹約政策などが反発を受けて老中をやめさせられ(1793年),改革は失敗した。その後は藩政にうちこみ,白河楽翁と名のって書物も多く書いた。→寛政の改革
コーチ
祖父吉宗の
享保の
改革を手本にして,
幕政のたてなおしをはかったが,時の流れにそわない面が多かった。