●県名の由来
『古事記』の「ヤマトタケルノミコト(日本武尊)がここに来たとき,足が三重に曲がってもちのようになってつかれたといわれたので,この地を三重という」という神話にもとづく。
●県庁所在地津市
●県の面積 5777km2
●県の人口 185万人
●県の代表的な伝統工芸品と祭り
〔伝統工芸品〕 ○伊賀くみひも ○四日市万古焼 ○鈴鹿墨 ○伊賀焼
〔祭り〕 ○ゲーター祭り(神島,1月1日)
●位置・地形・気候
三重県は紀伊半島東部にある細長い県で,東は伊勢湾,南は熊野灘に面している。面積は,近畿地方では,兵庫県についで広い。
北西部には,鈴鹿山脈・布引山地が南北に走り,伊勢湾に向かって櫛田川・宮川・鈴鹿川などが流れ,下流に伊勢平野をつくっている。布引山地の西側には上野盆地がある。県の中央部で志摩半島が太平洋につきだし,南西部は紀伊山地が広がる。志摩半島以南は,山地が海にせまり,典型的なリアス海岸となっている。
気候は全般に,夏から秋にかけて雨が多く,冬は晴れた日が多い太平洋側の気候である。南部の尾鷲から大台ヶ原にかけては日本最大の多雨地域。一方,上野盆地は寒暑の差の大きい内陸性の気候である。
●歴史
大和政権の勢力地域として,早くから開けた。古代には,伊勢・志摩・伊賀の3国と紀伊国の一部に分かれていた。大和時代から伊勢神宮がまつられ,神宮領も多く,伊勢神宮と深い関係をもってあゆんできた。江戸時代には,津に藤堂藩がおかれ,紀伊・伊勢の一部を紀州徳川家が領有,その間にいくつかの小藩や天領が配置された。また,桑名や四日市が東海道の宿場町としてさかえ,伊勢は「お伊勢参り」の人々でにぎわった。
明治になって,安濃津県(のち三重県)と度会県ができ,1876(明治9)年に2県が合併して現在の三重県が成立した。
●産業
農業は,伊勢平野と上野盆地の稲作が中心で,農業生産額の約3分の1をしめる。鈴鹿山脈の山ろくや紀伊山地の谷では茶の栽培が行われ,生産量は静岡,鹿児島についで第3位。畜産ではとくに肉用牛が松阪牛の名で有名である。熊野・尾鷲などではスギ・ヒノキなどの木材生産がさかん。
水産業では沖合い漁業のカツオ・マグロ漁や,志摩半島近海での真珠・カキ・タイなどの養殖業がさかんで,三重県の漁獲量は全国7位となっている(2009年)。
工業は,中京工業地帯の一角をしめ,四日市には石油化学コンビナート,津には造船や金属工業,鈴鹿には自動車や繊維工業,桑名には機械や金属工業が発達している。
■石油化学コンビナートと公害
三重県北部にある四日市市は,第二次世界大戦前は羊毛の輸入港,陶磁器の輸出港としてさかえ,繊維や陶磁器工業も発達していた。
大戦後,海軍施設の跡地が石油会社に払い下げられて,日本で最初の石油コンビナートが建設され,1959(昭和34)年に操業を開始した。ひきつづいて,第2,第3コンビナートも建設され,四日市は石油化学工業都市へと急激に変貌したのである。
しかし,石油化学コンビナートの生産拡大は,大気汚染をはじめ,地盤沈下や水質汚濁などの公害をもたらした。1963年ごろから,コンビナートから出る亜硫酸ガスやよごれた煙による「四日市ぜんそく」が大きな社会問題となった。
公害反対の運動がおこり,患者たちがおこした裁判が全面勝訴となるなか,公害防止のとりくみが始まり,住宅地を緑地帯で分離したり,煙から亜硫酸ガスをとりのぞく装置をつけるなどの対策がとられ,公害防止の法律もつくられた。現在も公害を未然にふせぐ努力がつづいている。