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**みえ【三重(県)】

県名の由来

古事記(こじき』の「ヤマトタケルノミコト(日本武尊)がここに来たとき,足が三重に曲がってもちのようになってつかれたといわれたので,この地を三重という」という神話にもとづく。

県庁所在地(

県の面積 5777km2

県の人口 185万人

県の代表的な伝統工芸品と祭り

〔伝統工芸品〕 ○伊賀(いがくみひも ○四日市(よっかいち万古焼(ばんこやき ○鈴鹿墨(すずかずみ ○伊賀焼(いがやき

〔祭り〕 ○ゲーター祭り(神島(かみしま,1月1日)

位置(いち・地形・気候(きこう

三重(みえ県は紀伊(きい半島東部にある細長い県で,東は伊勢湾(いせわん,南は熊野灘(くまのなだに面している。面積(めんせきは,近畿(きんき地方では,兵庫(ひょうご県についで広い。

北西部には,鈴鹿(すずか山脈・布引(ぬのびき山地が南北に走り,伊勢湾(いせわんに向かって櫛田(くしだ川・(みや川・鈴鹿(すずか川などが流れ,下流に伊勢(いせ平野をつくっている。布引(ぬのびき山地の西側には上野盆地(うえのぼんちがある。県の中央部で志摩(しま半島が太平洋につきだし,南西部は紀伊(きい山地が広がる。志摩(しま半島以南(いなんは,山地が海にせまり,典型的(てんけいてきなリアス海岸となっている。

気候(きこう全般(ぜんぱんに,夏から秋にかけて雨が多く,冬は晴れた日が多い太平洋(がわ気候(きこうである。南部の尾鷲(おわせから大台ヶ原(おおだいがはらにかけては日本最大(さいだいの多雨地域(ちいき。一方,上野盆地(ぼんち寒暑(かんしょの差の大きい内陸性(ないりくせい気候(きこうである。

歴史(れきし

大和政権(やまとせいけん勢力地域(せいりょくちいきとして,早くから(ひらけた。古代には,伊勢(いせ志摩(しま伊賀(いがの3国と紀伊(きい国の一部に分かれていた。大和(やまと時代から伊勢神宮(いせじんぐうがまつられ,神宮領(じんぐうりょうも多く,伊勢神宮(いせじんぐうと深い関係(かんけいをもってあゆんできた。江戸(えど時代には,(藤堂藩(とうどうはんがおかれ,紀伊(きい伊勢(いせの一部を紀州徳川家(きしゅうとくがわけ領有(りょうゆう,その間にいくつかの小藩(しょうはん天領(てんりょう配置(はいちされた。また,桑名(くわな四日市(よっかいちが東海道の宿場町(しゅくばまちとしてさかえ,伊勢(いせは「お伊勢参(いせまいり」の人々でにぎわった。

明治(めいじになって,安濃津(あのつ県(のち三重(みえ県)と度会(わたらい県ができ,1876(明治(めいじ9)年に2県が合併(がっぺいして現在(げんざい三重(みえ県が成立(せいりつした。

産業(さんぎょう

農業は,伊勢(いせ平野と上野盆地(うえのぼんち稲作(いなさくが中心で,農業生産額(せいさんがく(やく3分の1をしめる。鈴鹿(すずか山脈の山ろくや紀伊(きい山地の谷では茶の栽培(さいばいが行われ,生産量(せいさんりょう静岡(しずおか鹿児島(かごしまについで第3(畜産(ちくさんではとくに肉用牛が松阪(まつさか牛の名で有名である。熊野(くまの尾鷲(おわせなどではスギ・ヒノキなどの木材生産(もくざいせいさんがさかん。

水産(すいさん業では沖合(おきあ漁業(ぎょぎょうのカツオ・マグロ(りょうや,志摩(しま半島近海での真珠(しんじゅ・カキ・タイなどの養殖(ようしょく業がさかんで,三重(みえ県の漁獲量(ぎょかくりょうは全国7(となっている(2009年)。

工業は,中京工業地帯(ちたい一角(いっかくをしめ,四日市(よっかいちには石油化学コンビナート,(には造船(ぞうせん金属(きんぞく工業,鈴鹿(すずかには自動車や繊維(せんい工業,桑名(くわなには機械(きかい金属(きんぞく工業が発達(はったつしている。

石油化学コンビナートと公害(こうがい

三重(みえ県北部にある四日市(よっかいち市は,第二次世界大戦(たいせん前は羊毛(ようもう輸入(ゆにゅう港,陶磁器(とうじき輸出(ゆしゅつ港としてさかえ,繊維(せんい陶磁器(とうじき工業も発達(はったつしていた。

大戦(たいせん後,海軍施設(かいぐんしせつ跡地(あとちが石油会社に(はらい下げられて,日本で最初(さいしょの石油コンビナートが建設(けんせつされ,1959(昭和34)年に操業(そうぎょうを開始した。ひきつづいて,第2,第3コンビナートも建設(けんせつされ,四日市(よっかいちは石油化学工業都市へと急激(きゅうげき変貌(へんぼうしたのである。

しかし,石油化学コンビナートの生産拡大(せいさんかくだいは,大気汚染(おせんをはじめ,地盤沈下(じばんちんか水質汚濁(すいしつおだくなどの公害(こうがいをもたらした。1963年ごろから,コンビナートから出る亜硫酸(ありゅうさんガスやよごれた(けむりによる「四日市(よっかいちぜんそく」が大きな社会問題となった。

公害(こうがい反対の運動がおこり,患者(かんじゃたちがおこした裁判(さいばんが全面勝訴(しょうそとなるなか,公害防止(こうがいぼうしのとりくみが始まり,住宅(じゅうたく地を緑地帯(りょくちたい分離(ぶんりしたり,(けむりから亜硫酸(ありゅうさんガスをとりのぞく装置(そうちをつけるなどの対策(たいさくがとられ,公害防止(こうがいぼうし法律(ほうりつもつくられた。現在(げんざい公害(こうがい未然(みぜんにふせぐ努力(どりょくがつづいている。

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