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みくにれんたろう【三國連太郎】

(1923〜2013)昭和・平成(へいせい時代の映画(えいが俳優(はいゆう群馬(ぐんま県生まれ。非嫡出子(ひちゃくしゅつしとして苦しい環境(かんきょうのなかで育つ。中学を2年で中退(ちゅうたい,中国へ密航(みっこう朝鮮(ちょうせん弁当(べんとう屋などをしてくらしたのち帰国。1943(昭和18)年,太平洋戦争(せんそうへの召集(しょうしゅうをうけ中国の激戦(げきせん地で(へいとして(たたかい,終戦(しゅうせんをむかえる。引き上げ後は農協(のうきょう,交通会社などで(はたらくが,50年,たまたまいた銀座(ぎんざでスカウトをうけ松竹大船撮影(しょうちくおおふなさつえい所に入る。(よく51年,木下惠介監督(きのしたけいすけかんとく善魔(ぜんま』の(じゅん主役に代役としてデビュー,そのときの役名「三國連太郎(みくにれんたろう」をそのまま芸名(げいめいにする。52年に東宝(とうほう,54年には日活(にっかつ移籍(いせき以降(いこう存在(そんざい感をもつ俳優(はいゆうとして,凶悪(きょうあく犯罪(はんざい者や悪人,政財界(せいざいかいの大物などの役柄(やくがらで高い評価(ひょうか(る。出演(しゅつえんした代表作に,『ビルマの竪琴(たてごと』(56年),『飢餓海峡(きがかいきょう』(65年),『犬神家(いぬがみけ一族(いちぞく』(76年),『マルサの女2』(88年),『大河(たいが一滴(いってき』(2001年)などがある。86年には『親鸞(しんらん・白い道』の製作(せいさく監督(かんとくもつとめている。また,88(昭和63)年から2009(平成(へいせい21)年まで「(りバカ日誌(にっし」シリーズ20作でユーモラスな演技(えんぎを見せた。

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