**みずのただくに【水野忠邦】 (1794〜1851)江戸(えど)時代後期の政治(せいじ)家。肥前(ひぜん)国(佐賀(さが)県)唐津藩主(からつはんしゅ)の子として江戸(えど)に生まれ,19歳(さい)で家をつぎ,のち自(みずか)ら希望(きぼう)して浜松(はままつ)(静岡(しずおか)県)藩主(はんしゅ)となった。1834年に老中(ろうじゅう)となり,1841年より天保(てんぽう)の改革(かいかく)を断行(だんこう)したが,風俗(ふうぞく)の取りしまりや倹約(けんやく)のすすめなど,改革(かいかく)があまりにもきびしすぎたため,人々の不満(ふまん)が高まり,失脚(しっきゃく)した。→天保(てんぽう)の改革(かいかく)