みのべたつきち【美濃部達吉】 (1873〜1948)明治(めいじ)〜昭和時代の法(ほう)学者。兵庫(ひょうご)県の生まれ。帝国(ていこく)大学を卒業(そつぎょう)後,ドイツに留学(りゅうがく)して広く外国の憲法(けんぽう)を研究。帰国後は長い間母校の教授(きょうじゅ)をつとめた。「天皇(てんのう)は国家の機関(きかん)であって主権(しゅけん)をもつものではない」という天皇機関説(てんのうきかんせつ)をとなえたため,当時の軍部(ぐんぶ)や右翼(うよく)から非難(ひなん)され,著書(ちょしょ)『憲法撮要(けんぽうさつよう)』は発売禁止(きんし)となり,貴族院(きぞくいん)議員(ぎいん)の職(しょく)も追われた。→天皇機関説(てんのうきかんせつ)