(1919〜2007)昭和・平成時代の官僚・政治家,第78代内閣総理大臣。東京生まれ。東京帝国大学卒業後,1942(昭和17)年,大蔵省入省。歴代大蔵大臣の秘書官をつとめ,52年に退官,53年に参議院議員に当選する。池田勇人の側近として活躍,池田内閣・佐藤栄作内閣で経済企画庁長官を長くつとめる。サンフランシスコ講和会議をはじめとして国際通貨基金総会など各国際会議に出席,「経済通・国際派」などの評判があった。外務大臣・大蔵大臣もつとめたが自由民主党内ではそのエリート意識が嫌われ,長く総裁職が回ってくることはなかった。1991(平成3)年,党内の実力者金丸信に接近,海部俊樹退陣のあとをうけて,ようやく72歳で総理大臣の職をつかんだ。しかし,金丸のうしろだてを失い,党内での求心力が急速に低下,93年6月,内閣不信任案が衆議院で可決され解散,総選挙でも自民党は野党連合に敗れ,8月退陣。98年,小渕恵三内閣で首相経験者としては高橋是清以来の財務大臣に就任,その実力を示した。2003(平成15)年に政治家を引退,政治評論家として活躍した。