(1924〜 )昭和・平成時代の政治家,第81代内閣総理大臣。大分県で漁師の6男として生まれる。上京して働きながら明治大学を卒業。1955(昭和30)年,日本社会党から大分市議会議員に立候補して当選。大分県議をへて,72年,衆議院議員に初当選。社会党では国会対策委員長を長くつとめ,93(平成5)年10月,党委員長に就任。94年6月,自由民主党・社会党・新党さきがけの連立政権が成立し,総理大臣に就任。ぼくとつな人柄で国民からの人気は高かったが,95年の阪神・淡路大震災,地下鉄サリン事件などの対応に危機管理能力の低さを露呈した。一方,国会では調整能力を発揮し,懸案の区割り法案,年金法案などをつぎつぎと成立させた。95年8月の戦後50周年記念式典で日本が戦前・戦中に行った「侵略」「植民地支配」について公式に謝罪した「村山談話」を発表した。96年1月,突然の辞任表明。党務に専念したが,社会党の分裂をおしとどめることはできなかった。2000年6月,政界引退。