もちひとおう【以仁王】 (1151〜1180)平安時代末期(まっき),平氏(へいし)追討(ついとう)の命令(めいれい)を出した皇子(おうじ)。後白河天皇(ごしらかわてんのう)の第2皇子(おうじ)。1180年,源頼政(みなもとのよりまさ)のすすめにしたがって平氏追討(へいしついとう)の令旨(りょうじ)(命令(めいれい)文書)を諸国(しょこく)の源氏(げんじ)に下し,挙兵(きょへい)をうながしたが事前に発覚(はっかく)。王を支持(しじ)する奈良(なら)の興福寺(こうふくじ)に向かう途中(とちゅう),宇治(うじ)(京都府(きょうとふ))の平等院(びょうどういん)で平知盛(たいらのとももり)・重衡(しげひら)らの追撃(ついげき)を受けて戦死(せんし)した。