モンゴル高原を統一したチンギス=ハンがハン(大王)にえらばれてから,第5代フビライのとき分裂が決定的になるまでの大帝国(1206〜1271)。蒙古帝国ともいう。
〔草原の騎馬民〕
モンゴル高原には,古来多くの遊牧
騎馬民族がおこり,11
世紀ころからは
契丹など,モンゴル
系の
諸部族が
勢いをのばした。1206年,モンゴル部のテムジンがハン(大王)の
位につき,トルコ族やツングース族をふくめて草原の全
遊牧民の王,チンギス=ハンとなった。モンゴル人は3
歳から馬に乗り,7
歳で馬から弓を
射る。チンギス=ハンは,かれらを10
戸,100
戸,1000
戸単位の
戦闘集団に
組織し,きびしい
規律を定めた。
〔世界征服〕
モンゴル
軍は,1218年,中央アジアを
侵略して東西交通の
要所をにぎり,ついでホラズムを
攻め,
逃亡するホラズム王を追ってインダス川上流からカスピ海,カフカズ地方まで,あらしのようにかけまわった。チンギス=ハンは,
西夏をほろぼして,1227年に
没するまでに,40の国をほろぼしアジア
大陸の半分を
支配した。広大な
領土は4人の息子らに分けあたえられ,かれらはさらに
征服をつづけ,バツーはヨーロッパに
遠征し,フラグはアッバース朝をほろぼし,フビライは全中国を
支配した。
〔帝国の分裂〕
子孫たちは,それぞれの
地域の文化と
伝統になじんでゆき,また大ハン
位の
継承をめぐって
争いをおこした。1260年に第5代フビライ=ハンが,
帝国の
本拠地
一帯を
支配する大ハンとして
即位すると,
争いが
激化。フビライは首都を
北京(
大都)にうつし,1271年,国号を中国風に
元と定めた。
コーチ
モンゴル
帝国は,
治安を
確保し
駅伝制をつくって旅行を安全にした。東西交流が活発になり,ユーラシア
大陸を1つの世界にした。