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やぎゅうむねのり【柳生宗矩】

(1571〜1646)江戸(えど時代初期(しょき武将(ぶしょう兵法家(ひょうほうか剣術家(けんじゅつか剣術家(けんじゅつか柳生宗厳(やぎゅうむねよしの5男として柳生(やぎゅうの里(奈良(なら)で生まれる。父である宗厳(むねよし完成(かんせいさせた「柳生新陰流(やぎゅうしんかげりゅう」を受け(ぎ,宗矩(むねのり江戸(えどへ出て徳川(とくがわ家の兵法師範(へいほうしはんとなり,2代将軍(しょうぐん秀忠(ひでただ,3代将軍(しょうぐん家光(いえみつ新陰流(しんかげりゅう伝授(でんじゅした。とりわけ家光(いえみつには信頼(しんらいされ,政治的(せいじてきな意見を具申(ぐしんする立場でもあった。1636年,宗矩(むねのり大和柳生藩初代藩主(やまとやぎゅうはんしょだいはんしゅとなる。著書(ちょしょとして『兵法家(へいほうか伝書』が知られている。

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