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やなぎそうり【柳宗理】

(1915〜2011)昭和・平成(へいせい時代の工業デザイナー。民芸(みんげい運動で知られる柳宗悦(やなぎむねよしの長男として東京で生まれる。本名は「むねみち」。1940(昭和15)年,東京美術(びじゅつ学校洋画科卒業(そつぎょう。42年に板倉建築(いたくらけんちく研究所の研究員となり,43年,フィリピンで計画が進められていた日本文化会館建設(けんせつ陸軍兵士(りくぐんへいしとして参加(さんか。46年に復員(ふくいん後,工業デザインの研究をはじめる。1952(昭和27)年,第1回新日本工業デザインコンクールで「レコードプレイヤー」(日本コロムビア)が第1(せき・2席入賞(せきにゅうしょう。57年,ミラノ・トリエンナーレで「バタフライ・スツール」「白磁土瓶(はくじどびん」が金賞受賞(じゅしょう国際的(こくさいてきに知られるようになる。60年代以降(いこう建築構造物(けんちくこうぞうぶつのデザインも手がける。おもな仕事として,東京(とうきょうオリンピックの聖火(せいかトーチ(64年),札幌(さっぽろオリンピック聖火(せいか台(70年),横浜市営(よこはましえい地下鉄駅設備(せつび(77年),東京湾横断(とうきょうわんおうだん道路木更津料金所(きさらづりょうきんじょ(97年)などがある。金沢(かなざわ工業大学教授(きょうじゅ,日本民藝(みんげい館館長もつとめた。

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