県名の由来:大内氏の城下町だった山口は山間の盆地で,山々の入り口という地形が名の由来らしい。江戸末期に藩政の中心となり,県庁もおかれたところから県名となった。
県庁所在地
県の面積
県の人口
県の代表的な伝統工芸品と祭り
〔伝統工芸品〕
○赤間硯 ○大内塗
〔祭り〕
○阿月神明祭(柳井市,2月11日)
位置・地形・気候
山口県は,本州の西のはしにあり,北は日本海,南は瀬戸内海,西は関門海峡をはさんで九州と向かいあっている。
東部には,島根県からつづく冠山山地があり,1000mをこえる山もあるが,そのほかは,高い山も平野や盆地も少なく,県の大部分は500m前後のなだらかな高原や丘陵でしめられている。北西部には,日本最大の規模をもつカルスト台地の秋吉台があり,多くのしょう乳洞がある。
県の中央部に小規模の山口盆地,瀬戸内海沿岸部に,岩国・防府・宇部・小野田などの小さな平野が開けている。
気候は,全体におだやかで,南部は1年を通して降水量が少ないが,北部は夏の降水量がやや多い。
歴史
北九州と大和地方をむすぶ重要な交通路にあったため,早くから開け,奈良時代には西部に長門国,東部に周防国がおかれた。平安時代の末には,源氏と平氏が関門海峡の壇ノ浦でたたかった。
南北朝時代から約200年間大内氏が支配,その城下町山口は西の京都とよばれてさかえた。戦国時代以降は,明治になるまで毛利氏が統治した。居城を萩においたので,萩藩とも長州藩とも山口藩ともいう。
明治になって,山口・豊浦・清末・岩国の4県が成立,のちに統合されて現在の山口県となった。
産業
平地が少ないため,耕地もわずかで,南部地方での米とミカン・イヨカンの栽培が,農業の中心である。ほかには,レンコンやゴボウの生産がやや多い。
水産業はわりあいさかんで,日本海でのタイやエビの漁獲量は全国でも指折りである。下関港は遠洋・沖合い漁業の基地となっている。また,下関港のフグの水揚げ量や出荷量は全国有数である。
工業は,瀬戸内海沿岸部で重化学工業がさかんで,瀬戸内工業地域の一角を形成している。下関市の造船,周南市の石油化学・ソーダ・セメント,光市・下松市の鉄鋼・化学,防府市の自動車工業などがある。また,伝統工業としては,萩焼が有名である。
維新の志士たちと史跡
江戸時代の終わりごろ,吉田松陰が萩の松下村塾で教育した人々のなかからでた,高杉晋作・木戸孝允・山県有朋・伊藤博文らは,幕末から明治にかけての政治・社会の大変革に大きな役割をはたした。
吉田松陰は安政の大獄で獄死,長州藩を倒幕に導くのに大きな力のあった高杉晋作も明治維新の前年に病死したが,木戸・山県・伊藤らは,維新後,明治新政府の中心人物として活躍した。
幕末に政庁が山口にうつるまで,約260年間,長州藩の政治の中心だった城下町萩には,これらの近代日本の改革をおし進めた人々の旧宅,松下村塾の建物などが維新の史跡として保存されている。
萩市は,いまも城下町時代の町の区画をよくのこしている。広い範囲にわたって市街地が城下町の景観をのこす史跡として指定され,高杉晋作や木戸孝允らの住宅をはじめ,武家屋敷や御用商人らの住宅がならぶ一画もある。毛利家萩屋敷など,重要文化財となっている建物も多く,おとずれる観光客もたいへん多い。