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**やまぐち【山口(県)】

県名の由来:大内氏(おおうちし城下町(じょうかまちだった山口(やまぐちは山間の盆地(ぼんちで,山々の入り口という地形が名の由来らしい。江戸末期(えどまっき藩政(はんせいの中心となり,県庁(けんちょうもおかれたところから県名となった。

県庁所在地

山口(やまぐち

県の面積

6114km2

県の人口

145万人

県の代表的な伝統工芸品と祭り

〔伝統工芸品〕

 ○赤間硯(あかますずり ○大内塗(おおうちぬり

〔祭り〕

 ○阿月神明(あつきしんめい祭(柳井(やない市,2月11日)

位置(いち・地形・気候(きこう

山口(やまぐち県は,本州の西のはしにあり,北は日本海,南は瀬戸内(せとない海,西は関門海峡(かんもんかいきょうをはさんで九州と向かいあっている。

東部には,島根(しまね県からつづく冠山(かんむりやま山地があり,1000mをこえる山もあるが,そのほかは,高い山も平野や盆地(ぼんちも少なく,県の大部分は500m前後のなだらかな高原や丘陵(きゅうりょうでしめられている。北西部には,日本最大(さいだい規模(きぼをもつカルスト台地の秋吉台(あきよしだいがあり,多くのしょう乳洞(にゅうどうがある。

県の中央部に小規模(きぼ山口盆地(やまぐちぼんち瀬戸内(せとない沿岸(えんがん部に,岩国(いわくに防府(ほうふ宇部(うべ小野田(おのだなどの小さな平野が開けている。

気候(きこうは,全体におだやかで,南部は1年を通して降水量(こうすいりょうが少ないが,北部は夏の降水量(こうすいりょうがやや多い。

歴史(れきし

北九州と大和(やまと地方をむすぶ重要(じゅうような交通路にあったため,早くから開け,奈良(なら時代には西部に長門(ながと国,東部に周防(すおう国がおかれた。平安時代の(まつには,源氏(げんじ平氏(へいし関門海峡(かんもんかいきょう壇ノ浦(だんのうらでたたかった。

南北朝(なんぼくちょう時代から(やく200年間大内氏(おおうちし支配(しはい,その城下町山口(じょうかまちやまぐちは西の京都(きょうととよばれてさかえた。戦国(せんごく時代以降(いこうは,明治(めいじになるまで毛利氏(もうりし統治(とうちした。居城(きょじょう(はぎにおいたので,萩藩(はぎはんとも長州藩(ちょうしゅうはんとも山口藩(やまぐちはんともいう。

明治(めいじになって,山口(やまぐち豊浦(とようら清末(きよすえ岩国(いわくにの4県が成立(せいりつ,のちに統合(とうごうされて現在(げんざい山口(やまぐち県となった。

産業(さんぎょう

平地が少ないため,耕地(こうちもわずかで,南部地方での米とミカン・イヨカンの栽培(さいばいが,農業の中心である。ほかには,レンコンやゴボウの生産(せいさんがやや多い。

水産(すいさん業はわりあいさかんで,日本海でのタイやエビの漁獲量(ぎょかくりょうは全国でも指(りである。下関(しものせき港は遠洋・沖合(おきあ漁業(ぎょぎょう基地(きちとなっている。また,下関(しものせき港のフグの水((りょうや出荷(りょうは全国有数である。

工業は,瀬戸内(せとない沿岸(えんがん部で重化学工業がさかんで,瀬戸内(せとうち工業地域(ちいきの一角を形成(けいせいしている。下関(しものせき市の造船(ぞうせん周南(しゅうなん市の石油化学・ソーダ・セメント,(ひかり市・下松(くだまつ市の鉄鋼(てっこう・化学,防府(ほうふ市の自動車工業などがある。また,伝統(でんとう工業としては,萩焼(はぎやきが有名である。

維新(いしん志士(ししたちと史跡(しせき

江戸(えど時代の終わりごろ,吉田松陰(よしだしょういん(はぎ松下村塾(しょうかそんじゅくで教育した人々のなかからでた,高杉晋作(たかすぎしんさく木戸孝允(きどたかよし山県有朋(やまがたありとも伊藤博文(いとうひろぶみらは,幕末(ばくまつから明治(めいじにかけての政治(せいじ・社会の大変革(へんかくに大きな役割(やくわりをはたした。

吉田松陰(よしだしょういん安政(あんせい大獄(たいごく獄死(ごくし長州藩(ちょうしゅうはん倒幕(とうばく(みちびくのに大きな力のあった高杉晋作(たかすぎしんさく明治維新(めいじいしんの前年に病死したが,木戸(きど山県(やまがた伊藤(いとうらは,維新(いしん後,明治(めいじ政府(せいふの中心人物として活躍(かつやくした。

幕末(ばくまつ政庁(せいちょう山口(やまぐちにうつるまで,(やく260年間,長州藩(ちょうしゅうはん政治(せいじの中心だった城下町萩(じょうかまちはぎには,これらの近代日本の改革(かいかくをおし進めた人々の旧宅(きゅうたく松下村塾(しょうかそんじゅく建物(たてものなどが維新(いしん史跡(しせきとして保存(ほぞんされている。

(はぎ市は,いまも城下町(じょうかまち時代の町の区画をよくのこしている。広い範囲(はんいにわたって市街(しがい地が城下町(じょうかまち景観(けいかんをのこす史跡(しせきとして指定され,高杉晋作(たかすぎしんさく木戸孝允(きどたかよしらの住宅(じゅうたくをはじめ,武家屋敷(ぶけやしき御用(ごよう商人らの住宅(じゅうたくがならぶ一画もある。毛利家萩屋敷(もうりけはぎやしきなど,重要文化財(じゅうようぶんかざいとなっている建物(たてものも多く,おとずれる観光(かんこう客もたいへん多い。

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