京都府南部の旧国名。もと山背と書いたが,平安遷都後,山城とあらためた。五畿内の1国。国府は今の相楽郡または乙訓郡内に,国分寺は今の木津川市におかれた。別称「城州」。794年の平安遷都より明治維新まで1000年以上,都として政治・経済・文化の中心であり,日本で最も重要な土地であった。鎌倉幕府は六波羅探題をおき,足利氏は幕府をここに開いた。応仁の乱であれはて,南山城では国一揆が守護畠山氏を追い,一時,国人の支配が行われた。江戸時代は京都所司代がおかれ,淀藩のほかは大部分が天皇家・公家・社寺の支配地でしめられた。