(1852〜1933)明治・大正時代の海軍軍人,政治家。第16・22代内閣総理大臣。薩摩(鹿児島)藩の下級武士の子に生まれる。西郷隆盛のすすめにより勝海舟のもとで学び,日本海軍の創設に尽力する。山県有朋・伊藤博文・桂太郎の各内閣で海軍大臣を歴任,日露戦争では総指揮にあたった。高潔な人がら,合理的ですぐれた判断力で知られ,1913(大正2)年,第16代内閣総理大臣に就任,派閥にとらわれない人事,行政改革で注目をあびたがシーメンス事件で1年1か月で総辞職。10年後の23(大正11)年,関東大震災をうけ震災翌日に第2次内閣を組閣。しかし皇太子(昭和天皇)狙撃未遂の虎ノ門事件が起こり,3か月で総辞職。実力がありながら運にめぐまれなかった総理大臣といわれる。