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**よしだしょういん【吉田松陰】

(1830〜1859)幕末(ばくまつ期の尊王論(そんのうろん(じゃ長州藩(ちょうしゅうはん山口(やまぐち県)の下級武士(ぶしの家に生まれ,長崎(ながさき留学(りゅうがく後,江戸(えどに出て佐久間象山(さくましょうざんに学んで,海外の事情(じじょうに目を向けるようになった。象山(しょうざんのすすめで海外渡航(とこうをくわだて,下田(しもだ静岡(しずおか県)でペリーの艦隊(かんたいに乗りこもうとして失敗(しっぱい(1854年),(はぎ山口(やまぐち県)の牢獄(ろうごくにつながれた。のち,ゆるされてから松下村塾(しょうかそんじゅくを開いて子弟の教育にあたり,尊王(そんのう攘夷論(じょういろん熱心(ねっしん(いた。しかし,幕政批判(ばくせいひはんを強めたため,大老井伊直弼(たいろういいなおすけによる安政(あんせい大獄(たいごくにつらなり,江戸(えど小塚原(こづかはら東京(とうきょう荒川(あらかわ区)で刑死(けいしした。

コーチ

松陰(しょういん(じゅくからは,高杉晋作(たかすぎしんさく伊藤博文(いとうひろぶみ山県有朋(やまがたありともなど,幕末(ばくまつから明治(めいじにかけて活躍(かつやくする人々が多数出た。

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