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よしだひでかず【吉田秀和】

(1913〜2012)昭和・平成(へいせい時代の音楽評論家(ひょうろんか東京(とうきょう生まれ。父は開業医,母の影響(えいきょう(おさないころから西洋クラシック音楽に親しんだ。旧制成城(きゅうせいせいじょう高校に学び,そのころから中原中也(なかはらちゅうや小林秀雄(こばやしひでおらと交遊する。1936(昭和11)年,東京(とうきょう帝国(ていこく大学卒業(そつぎょう内務省情報局(ないむしょうじょうほうきょく,日本音楽文化協会(きょうかい勤務(きんむ。46年,モーツァルトについての雑誌連載(ざっしれんさい本格的(ほんかくてき評論(ひょうろん活動に入る。以降(いこう,それまで印象的(いんしょうてき感覚的(かんかくてきだった音楽評論(ひょうろんの分野で,すぐれた知性(ちせい洞察力(どうさつりょくをもって音楽の魅力(みりょくを伝える活動を展開(てんかいし,日本の音楽評論(ひょうろんのリーダーとして活躍(かつやくする。音楽のみならず文学・芸術(げいじゅつ分野での評論(ひょうろんにもすぐれていた。執筆(しっぴつの一方,実践(じっせん活動も行い,48年には斎藤秀雄(さいとうひでお井口基成(いぐちもとなりらと「子供(こどものための音楽教室」(のちの桐朋(とうほう学園音楽部門の母体)を開設(かいせつ,多くの指揮者(しきしゃ・音楽家を育成(いくせいしたほか,57年には「二十世紀(せいき音楽研究所」を設立(せつりつ。ラジオのクラシック専門(せんもん番組の構成(こうせい司会(しかいでも活躍(かつやくした。(くなる直前まで精力的(せいりょくてきな活動を(つづけていた。著作(ちょさくは『吉田秀和(よしだひでかず全集』(全24(かん,1975〜2004年)にまとめられている。翻訳書(ほんやくしょも多数。

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