(1924〜2012)昭和・平成時代の詩人,評論家。東京都生まれ。工業高校を経て,東京工業大学化学科を卒業。化学工業会社,特許事務所などに勤めながら詩作をはじめ,1950(昭和25)年の詩集『固有時との対話』,52年の『転位のための十篇』で注目をあびる。50年代半ばから,社会主義・共産主義文学の戦争・戦後責任を問う評論活動を展開,非共産主義の立場からの左翼理論を確立。1960年の安保闘争では全学連を支持,それ以降の学生運動の思想的なよりどころ,教祖的な存在となった。68年,『共同幻想論』を刊行。「大衆の原像」を基本的な考え方として,それをさまたげる権威や主義,国家を徹底的に批判する論陣をはり,戦後最大の思想家とも評価された。しかし1990年代以降,「大衆」自体の変貌するなか,彼の思想が生彩を失っていったことは否定できないであろう。最晩年にいたるまで活発な発言・発信はおとろえなかった。