律令にもとづく中央集権国家。
〔律令国家の成立〕
大化の
改新(645年)で,
唐(中国)の
律令にならった新しい
政治の
方針が
示され,
壬申の
乱(672年)をへて中央
集権化が進み,701年の
大宝律令の
制定によって,
天皇を
頂点とする
律令国家が
成立した。
政治のしくみは,中央に
二官八省の役所をおき,地方は
国・
郡・
里に分け,北九州に
大宰府を
設置した。
班田収授法をしいて,人々に
口分田をあたえ,
租・
調・
庸の
税や
雑徭(
労役)を
課し,
公民男子には
兵役の
義務をおわせた。
〔律令国家の盛衰〕
律令国家にふさわしい都として,
唐の都の
長安(今の
西安)にならって
平城京が
造営され,
唐の文化や
仏教の
影響を受けた
天平文化が花を開き,
奈良時代中期に
律令国家の
最盛期をむかえた。しかし,生活に苦しむ
農民の
逃亡,
私有地の
増加による公地
公民制のくずれなどから,
奈良時代後期に
律令国家の
基礎がゆらぎ,これ
以後,しだいにくずれていった。
コーチ
平安時代に摂関政治が始まると,名目的には律令国家であったが,実質的な働きは弱まった。