りゅうきゅうしょぶん【琉球処分】 明治政府(めいじせいふ)が琉球(りゅうきゅう)(沖縄(おきなわ))を強制的(きょうせいてき)に日本に統合(とうごう)した処分(しょぶん)。琉球(りゅうきゅう)を鹿児島(かごしま)県の管轄(かんかつ)に入れ,1872(明治(めいじ)5)年,琉球(りゅうきゅう)国を琉球藩(りゅうきゅうはん)にあらため,国王尚泰(しょうたい)を藩王(はんおう)として華族(かぞく)に列して外交権(けん)をとりあげた。1875(明治(めいじ)8)年,清(しん)国(中国)への朝貢関係(ちょうこうかんけい)を停止(ていし)させると琉球藩(りゅうきゅうはん)内では反対運動がおこり,清(しん)国も強く抗議(こうぎ)した。1879(明治(めいじ)12)年,政府(せいふ)は軍隊(ぐんたい)・警察(けいさつ)を派遣(はけん)し,王政(おうせい)を解体(かいたい),琉球藩(りゅうきゅうはん)を廃止(はいし)し,沖縄(おきなわ)県設置(せっち)を強行した。◇その後の日清戦争(にっしんせんそう)により,沖縄(おきなわ)県の日本領有(りょうゆう)が確定(かくてい)する。