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れいぜいけ【冷泉家】

平安時代中期の太政大臣(だいじょうだいじん藤原道長(ふじわらのみちながの6男,長家(ながいえにはじまる公家の家系(かけいで,平安時代末期(まっき鎌倉(かまくら時代前期の歌人,藤原俊成(ふじわらのとしなり定家(ていか父子を出したことでも知られる,和歌を家業として朝廷(ちょうていに仕えた家柄(いえがら鎌倉(かまくら時代中期の為相(ためすけから冷泉家(れいぜいけを名のった。明治(めいじ平成(へいせい時代,多くの公家・貴族(きぞく没落(ぼつらくしていくなか,第二次世界大戦(たいせん終戦(しゅうせんまで皇室(こうしつの歌道指南役を(つとめ,家の伝統(でんとうを守りつづけてきた貴重(きちょう家柄(いえがら京都御所(きょうとごしょの北(どなりに(のこ冷泉家屋敷(れいぜいけやしき現存(げんそんする唯一(ゆいいつの公家屋敷(やしきとして国の重要(じゅうよう文化(ざいに指定されている。屋敷内(やしきないには藤原定家(ふじわらのていかの日記『明月記(めいげつき』をはじめとする800年間の貴重資料(きちょうしりょう2万点以上(いじょう保存(ほぞんされ,「古文書の正倉院(しょうそういん」ともよばれている。また,家の伝統的(でんとうてき習俗(しゅうぞくやしきたりも守りつづけられており,映像(えいぞう出版物(しゅっぱんぶつでも紹介(しょうかいされている。1981(昭和56)年,冷泉家(れいぜいけ当主が理事長を(つとめる財団法人(ざいだんほうじん冷泉家時雨亭(れいぜいけしぐれてい文庫」が設立(せつりつされ,資料(しりょう保存(ほぞん・公開が行われている。→藤原俊成(ふじわらのとしなり藤原定家(ふじわらのていか

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