ろくはらたんだい【六波羅探題】 承久(じょうきゅう)の乱(らん)(1221年)ののち,鎌倉幕府(かまくらばくふ)が京都(きょうと)の六波羅(ろくはら)においた役職(やくしょく)。朝廷(ちょうてい)・公家(くげ)の監視(かんし)と,尾張(おわり)国(のちに三河(みかわ)国,ともに愛知(あいち)県)以西(いせい)の行政(ぎょうせい)・裁判(さいばん)・軍事(ぐんじ)にあたった。執権(しっけん)に次ぐ重要(じゅうよう)な職(しょく)とされ,北条氏(ほうじょうし)の一族が任命(にんめい)された。1333年,後醍醐天皇(ごだいごてんのう)に味方した足利尊氏(あしかがたかうじ)に攻(せ)められてほろびた。 コーチ 六波羅探題(ろくはらたんだい)と同じく,朝廷監視(ちょうていかんし)を任務(にんむ)の1つとする京都所司代(きょうとしょしだい)は,江戸(えど)時代におかれた幕府(ばくふ)の地方統制機関(とうせいきかん)である。