田中正造は明治時代の国会議員で、環境を守るために命がけで政府と戦った人。
明治時代、栃木県の足尾銅山では、たくさんの銅が掘り出された。ところが、銅を掘ったときに出る鉱毒(毒のある鉱物やどろ)を渡良瀬川に流していたので、1885年ごろから下流の田畑にその毒がたまり、作物が枯れたり、家畜が死んだりした。人々の健康にも影響が出てきた。そこで下流の農民たちは、足尾銅山で銅を掘るのをやめるようにうったえたのだが、なかなか聞き入れられない。そこで田中正造が、国会でこのことをとりあげ、大きな社会問題になった。さわぎが大きくなることをおそれた政府は、被害を受けた人と銅山との話し合いで解決しようとしたんだけど、やがて大洪水が起こって、鉱毒は栃木、群馬のほか、埼玉、東京、千葉にもおよんだんだ。田中正造は、ふたたび反対運動を起こした。しかし今度も、なかなか聞き入れられないので、1901年には天皇に直接うったえようとして、取りおさえられた。この事件でさわぎがますます大きくなった。困った政府は、渡良瀬川下流の谷中村を貯水池にすることを決めて、農民を別の場所に移そうとした。けれどもこれに応じない農民がいたため、政府は谷中村をうちこわそうとした。そこで、田中正造は自分も谷中村に移り住んで、農民たちといっしょにたたかいつづけたんだ。
そのとちゅうで、田中正造は病気のため亡くなったけど、環境を守るため命をかけて戦った政治家として今でもたくさんの人から尊敬されているよ。