こたえ:公害病の1つで、体じゅうが激しく痛む病気です。
工場などの排水や煙にふくまれる有害物質が自然環境を汚染することを「公害」、それが引き起こす病気を「公害病」といいます。公害や公害病は、1950年代から1970年代に産業活動が活発になるにつれ、深刻な問題となりました。イタイイタイ病と新潟水俣病、四日市ぜん息、熊本水俣病の4つを「四大公害病」とよびます。
このうちイタイイタイ病は、岐阜県から富山県を流れる神通川の下流域で大正(1912~1926年)時代ごろから発生した公害病です1)。重金属のカドミウムが体内に蓄積することで、腎臓の障害や体じゅうの痛みなどの症状が出ます。病気が進行すると、骨が硬くならない骨軟化症や骨がスカスカになる骨粗鬆症になり、骨が変形したり、くしゃみをするだけで骨折したりします。患者たちが「いたい、いたい」と泣きさけぶことしかできなかったことから、1955年8月4日付の富山新聞で「いたい、いたい病」と紹介されました2)。
原因となったカドミウムは、上流の神岡鉱山*1から排出されたものです。掘り出された亜鉛から不純物を取りのぞくとき出た水に、カドミウムがふくまれていました。カドミウムをふくむ水は、神通川を通って下流の町へ流れていきます。流域の住民は、その水を田んぼや畑で使うほか、家に引き込んで台所で野菜を洗ったり料理に使ったりしていました。そのため、住民はカドミウムをふくむ水を飲み、米や野菜を食べることになり、やがてカドミウム中毒になってしまったのです。
神通川流域では、すでに明治時代(1868~1912年)の中ごろから、イネの育ちが悪くなるという被害が出ていました。大正時代になると、農家の人たちが「鉱山が原因ではないか」と考え、国や富山県に訴え始めます。漁業団体も、鉱山に排水対策の改善を求めました。しかし残念ながら、この時点で公害は止められず、多くの人がイタイイタイ病で苦しむことになってしまいました。
1960年代になると、患者や家族をはじめとする住民が団結し、国や富山県、神岡鉱山で操業していた三井金属鉱業に対策を求めます。1968年には三井金属鉱業を相手に裁判を起こし、1971年に住民側が勝訴しました。住民が裁判を起こした1968年には、国(厚生省、現在の厚生労働省)がイタイイタイ病を公害病に認定しています*2。
その後、住民と三井金属鉱業の間で話し合いが進み、「被害者への賠償」「公害防止」「汚染された土壌の復元」の3つの約束が交わされました。富山県は、住民が神通川の水を生活に使わなくてもすむように、水道の整備を進めたほか、1967年度からは流域の住民の健康調査を続けています。
2019年現在、富山県に認定された患者数は200人(うち、生存する人は4人)です3)*3。しかし、経過を見る必要がある「要観察者」が300人以上にのぼるなど、じっさいにはこの数字より多くの患者がイタイイタイ病の症状に苦しみました。また、2015年にも新たな患者が認定されており、今後も患者の数は増えるかもしれません。イタイイタイ病とのたたかいは、今も続いているのです。
*1 神岡鉱山:岐阜県飛騨市にある鉱山で、亜鉛の採掘量は「東洋一」の規模をほこりました4)。採掘は2001年に中止され、現在は実験施設として使われています。地下1000mに建設された「カミオカンデ」や「スーパーカミオカンデ」では、素粒子の1つであるニュートリノの観測が行われ、その成果は、小柴昌俊氏(2002年)や梶田隆章氏(2015年)のノーベル物理学賞受賞につながりました。
*2 厚生省は当時、「イタイイタイ病がカドミウムの慢性中毒によって引き起こされ」、「そのカドミウムは神岡鉱山から排出されたもの以外には見当たらない」という見解を示しました。
*3 患者の多くは、神通川流域に長く住む35歳以上の女性でした。その理由は完全には解明されていませんが、妊娠や授乳、カルシウム不足などが病気の進行にかかわっているのではないかと考えられています.
記事公開:2021年11月
参考資料
監修者:大山光晴
1957年東京都生まれ。東京工業大学大学院修士課程修了。高等学校の物理教諭、千葉県教育委員会指導主事、千葉県立長生高等学校校長等を経て、現在、秀明大学学校教師学部教授として「理数探究」や「総合的な学習の時間」の指導方法について講義・演習を担当している。科学実験教室やテレビの実験番組等への出演も多数。千葉市科学館プロジェクト・アドバイザー、日本物理教育学会常務理事、日本科学教育学会及び日本理科教育学会会員、月刊『理科の教育』編集委員等も務める。