電話機は、いつ・だれが発明したの?
こたえ:「1871
「電話」は、電気信号を使って離れた場所にいる人と話すしくみ。「電話機」は、音声を電気信号に変えて送り、受け取った側で電気信号を音声に戻す機械です。今でこそ当たり前の技術ですが、それ以前は声で通信する手段がなかったのですから、画期的な発明でした。19世紀後半には、多くの発明家や学者が電話を実現させようと研究していて、電気信号のつくり方と音声への戻し方がいくつも考案されていたので、「いつ・だれが最初の電話機を発明したか?」は難しい問いですが、日本で一般的に「発明者」とされているのは、アントニオ・メウッチ(Antonio ‘Santi Giuseppe’ Meucci、1808-1889)です1)。
イタリア生まれのメウッチは、移住先のアメリカで1854年に電話機の試作品を完成させました。けれども、特許の出願に必要なお金が足りず、1871年に仮の特許を取得したものの、数年しか更新できずに権利を失ってしまいます※1。
一方、スコットランドで生まれたアレクサンダー・グラハム・ベル(Alexander Graham Bell、1847-1922)も、アメリカで電話機を発明。1876年2月14日にワシントンのアメリカ特許商標庁で特許を出願し、その後に認められました。そして同じ年、ベルと助手のトーマス・オーガスタス・ワトソン(Thomas Augustus Watson、1854-1934)は、電話機を通じてはっきりと声を伝えられることを実験で証明しました。その後、万国博覧会で電話を紹介したり、電話会社を創業して電話網を拡大したりと、ベルは電話の発展に貢献していきます。
このように、ベルは実用的な電話機を開発して広めたため、アメリカや日本などでは長い間、電話機の発明者はベルだと言われてきました。けれども、アメリカ合衆国議会は2002年、ベルより先にメウッチが電話機を発明していたと認め、それ以降は「電話の発明者はメウッチ」と変わったのです2)。
1人目は、「テレフォン」という言葉を生み出したドイツの物理学者・発明家、ヨハン・フィリップ・ライス(Johann Philipp Reis、1834-1874)です※2。1860年に電話機の試作品を開発し、翌年に公開しました。
2人目は、アメリカの“発明王”ことトーマス・エジソン(Thomas Alva Edison、1847-1931)。1876年に電話機の特許を出願したものの、書類に不備があって認められなかったそうです。
もう1人、同じ年に特許を出願した人がいます。それは、アメリカの発明家、イライシャ・グレイ(Elisha Gray、1835-1901)です。ベルが考案したものと似た方式の電話機について、2月14日にワシントンのアメリカ特許商標庁へ書類を提出します。この日にちと場所に見覚えはありませんか? ベルが特許を出願した日・場所ですね。ただし、グレイが出願したのは、ベルより2時間ほど後だったと言われています※3。特許は原則、先に出願した人が優先されるため、電話の特許はベルのものになったというわけです。
※1 特許:発明者の権利を守るルール。新しいアイデアや発明品を、発明者以外が勝手に使えないように制限します。
参考)特許庁「とっきょちょうキッズページ」:https://www.jpo.go.jp/news/kids_page/index.html
※2 「テレフォン」は、ギリシャ語の「遠くの」(テーレ)と「声」(フォン)を組み合わせてつくった言葉です。
※3 実際はグレイの方が先に届け出ていたという説もあります。
記事公開:2023年2月
参考資料
1)住田潮「世界をORする視線(No3) 第I部 通信・デジタル技術の発展(2)電話機の発明と電話網:その1」『オペレーションズ・リサーチ』2021年4月号.日本オペレーションズ・リサーチ学会.:https://orsj.org/wp-content/corsj/or66-4/or66_4_255.pdf
2)雑学総研『人類なら知っておきたい 地球の雑学』.2018年.KADOKAWA
監修者:大山光晴

1957年東京都生まれ。東京工業大学大学院修士課程修了。高等学校の物理教諭、千葉県教育委員会指導主事、千葉県立長生高等学校校長等を経て、現在、秀明大学学校教師学部教授として「理数探究」や「総合的な学習の時間」の指導方法について講義・演習を担当している。科学実験教室やテレビの実験番組等への出演も多数。千葉市科学館プロジェクト・アドバイザー、日本物理教育学会常務理事、日本科学教育学会及び日本理科教育学会会員、月刊『理科の教育』編集委員等も務める。