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外国(アメリカ)と日本ではどうして言葉がちがうの

外国(アメリカ)と日本ではどうして言葉がちがうの

世界(せかい)(じゅう)どこの言葉(ことば)もそうですが、言葉(ことば)というのは、だれかがある(とき)発明(はつめい)したものではありません。言葉(ことば)というのは、とても(なが)(あいだ)に、(なん)となくできた、というのが本当(ほんとう)のようです。

たとえば、大昔(おおむかし)あるところに人間(にんげん)(あつ)まって()んでいたとします。そこに()んでいた(ひと)たちの(あいだ)には、そこの(ひと)たちだけに(つう)じる合図(あいず)のようなものがありました。自分(じぶん)たちだけに(つう)じる合図(あいず)であり、よそから()(ひと)には(なに)合図(あいず)なのか(まった)くわからないものだったのです。この合図(あいず)のようなものが、(なが)(あいだ)にしだいに言葉(ことば)になってきたのです。
したがって、言葉(ことば)は、世界(せかい)各地(かくち)で、そこの地方(ちほう)にしか(つう)じないものがいくつもできてしまったというわけです。
日本語(にほんご)は、日本(にほん)(なか)では(つう)じても、すぐとなりの(くに)韓国(かんこく)では、もう(まった)(つう)じません。韓国(かんこく)でも、となりの(くに)中国(ちゅうごく)とは全然(ぜんぜん)ちがう言葉(ことば)(はな)します。
このように、()むところがちがうと、ちがう言葉(ことば)ができてくるのです。アメリカと日本(にほん)(とお)(はな)れています。(まった)言葉(ことば)がちがうのは()たり(まえ)のことなのです。

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