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日本の国はいつどうやってできたの

日本の国はいつどうやってできたの

これはまだまだ解明(かいめい)されていないことも(おお)く、非常(ひじょう)にむずかしい問題(もんだい)で、くわしく説明(せつめい)するとかなり(なが)くなってしまいます。今回(こんかい)は、わかりやすくごく簡単(かんたん)説明(せつめい)しましょう。

日本(にほん)には、もともとたくさんの(くに)があって、それぞれがいろいろな名前(なまえ)でよばれていました。これらの小国(しょうこく)がたくさんあったのは、(いま)から1900(ねん)以上(いじょう)(むかし)のことです。当時(とうじ)は、まだ日本(にほん)というひとつの(くに)にまとまってはいませんでした。
その()、これらの(くに)がしだいにまとまってきたのです。それらは一度(いちど)にまとまったわけではなく、だんだんとひとつの(くに)にまとまっていきました。こうしてできた(くに)は、最初(さいしょ)はヤマトという名前(なまえ)でした。
ところが、このころ中国人(ちゅうごくじん)日本(にほん)を「()(くに)」とよんでいました。「()」というのは、中国語(ちゅうごくご)で「非常(ひじょう)(ちい)さい」あるいは「ちっぽけな」という意味(いみ)言葉(ことば)です。日本(にほん)よりはるかに(なが)歴史(れきし)をもつ中国(ちゅうごく)から()ると、そのころの日本(にほん)というのはまだそれほど存在感(そんざいかん)のない(ちい)さな(くに)にすぎなかったのです。
ところが、だんだんヤマトの(くに)(おお)きくなり、(くに)としての(ちから)をつけてくるようになりました。そうして、となりの中国(ちゅうごく)に「ちっぽけな(くに)」といった意味(いみ)言葉(ことば)でよばれているのがしだいにいやになってきたようです。そこで(いま)から1400(ねん)ほど(まえ)、ヤマトの(くに)聖徳太子(しょうとくたいし)という(ひと)中国(ちゅうごく)手紙(てがみ)()きました。
この手紙(てがみ)には、まだ日本(にほん)という言葉(ことば)はでてきませんでした。しかし、ヤマトの(くに)ではなく、「()いづるところ」という言葉(ことば)使(つか)ったのです。
()いづるところ」というのは、太陽(たいよう)()るところという意味(いみ)です。中国(ちゅうごく)から()(ひがし)にある日本(にほん)は、太陽(たいよう)がのぼるところの(くに)ですよという意味(いみ)だったのです。
この「()いずるところ」が、「ひのもと」、そして「日本(にほん)」というように()わっていったのではないかと(かんが)えられています。

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