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年賀状の歴史をたどる

年賀状の歴史をたどる

正月(しょうがつ)にもらう年賀状(ねんがじょう)(たの)しみという(ひと)(おお)いよね。まずは、いつからあるのかなど、年賀状(ねんがじょう)について調(しら)べてみよう。

年賀状(ねんがじょう)」とは?

年賀(ねんが)」ということばには、「(あたら)しい(とし)(いわ)う」という()()がある。また、「(じょう)」は「書状(しょじょう)手紙(てがみ))」のことなので、「年賀状(ねんがじょう)」とは、「(あたら)しい(とし)(いわ)手紙(てがみ)」ということになるよ。日本(にほん)では、古代(こだい)から朝廷(ちょうてい)貴族(きぞく)たちの(あいだ)新年(しんねん)(いわ)行事(ぎょうじ)(おこな)われ、年賀(ねんが)書状(しょじょう)()わされていたと(かんが)えられている。平安時代(へいあんじだい)にまとめられた手紙(てがみ)文例(ぶんれい)(しゅう)にも、正月(しょうがつ)()手紙(てがみ)文例(ぶんれい)がのっている。その(あと)年賀(ねんが)書状(しょじょう)は、武士(ぶし)(あいだ)でも()わされるようになった。江戸時代(えどじだい)平和(へいわ)時代(じだい)(つづ)いたころには、庶民(しょみん)()(なら)い、手紙(てがみ)()したりもらったりするようになった。年賀(ねんが)書状(しょじょう)次第(しだい)(ひろ)まっていったと(かんが)えられている。

年中(ねんちゅう)行事(ぎょうじ)のひとつとして(ひろ)まる

明治時代(めいじじだい)になると、郵便(ゆうびん)制度(せいど)(はじ)まった。(やす)く、手軽(てがる)()せるはがきのしくみも(ととの)った。そこで、(まえ)からあった年賀(ねんが)書状(しょじょう)習慣(しゅうかん)郵便(ゆうびん)制度(せいど)(むす)びつき、(いま)のような年賀状(ねんがじょう)のもとになった。1890(ねん)前後(ぜんご)には、(ねん)賀状(がじょう)()すことが年中(ねんちゅう)行事(ぎょうじ)のひとつとして(ひろ)まっていたよ。年賀状(ねんがじょう)習慣(しゅうかん)(ひろ)まると、年末(ねんまつ)年始(ねんし)郵便(ゆうびん)(りょう)()えることになった。郵便局(ゆうびんきょく)では、それに対応(たいおう)するため、年賀(ねんが)郵便(ゆうびん)通常(つうじょう)郵便(ゆうびん)とは()けて配達(はいたつ)するしくみを(ととの)えていった。

「お年玉(としだま)くじ()郵便(ゆうびん)はがき」も登場(とうじょう)

明治時代(めいじじだい)から大正時代(たいしょうじだい)昭和(しょうわ)時代(じだい)(すす)むにつれ、年賀(ねんが)郵便(ゆうびん)()(つづ)け、1935(ねん)ごろには、7(おく)(まい)をこえるほどになった。このころに、年賀(ねんが)郵便(ゆうびん)(よう)切手(きって)発行(はっこう)されている。しかし、その(あと)戦争(せんそう)のために年賀(ねんが)郵便(ゆうびん)()ってしまった。年賀(ねんが)郵便(ゆうびん)のあつかいが復活(ふっかつ)したのは、戦争(せんそう)()わってしばらくたった1948(ねん)のこと。さらに翌年(よくねん)には「お年玉(としだま)くじ()郵便(ゆうびん)はがき」が発行(はっこう)され、年賀(ねんが)郵便(ゆうびん)(かず)急速(きゅうそく)()えていった。

1人(ひとり)あたりおよそ35(つう)()している!

1997(ねん)年賀(ねんが)郵便(ゆうびん)(かず)(やく)37(おく)(つう)にもなった。その()電子(でんし)メールが(ひろ)まったことなどにより、やや()っているが、現在(げんざい)日本(にほん)国民(こくみん)1人(ひとり)あたりおよそ35(つう)(ねん)賀状(がじょう)()している。(なが)(あいだ)()けつがれた文化(ぶんか)のひとつである年賀状(ねんがじょう)大切(たいせつ)にしていきたいね。

年賀(ねんが)郵便(ゆうびん)()りあつかい(りょう)(うつ)()わり

総務省(そうむしょう)通信(つうしん)白書(はくしょ)」、日本(にほん)郵便(ゆうびん)資料(しりょう)などによる

郵便局(ゆうびんきょく)

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