520人が亡くなった日航機墜落事故から41年がたちました

520人が亡くなった日航機墜落事故から41年がたちました
朝日新聞社あさひしんぶんしゃが提供ていきょうした画像がぞうを使つかっています。

1985年ねんの8月がつ12日にち、羽田はた発はつ大阪おおさか行いきの飛行機ひこうき、日本航空にほんこうくう(JAL)の飛行機ひこうきが群馬ぐんま県けんの山やまに落おちる事故じこがありました。飛行機ひこうきに乗のっていた人ひとのうち、520人にんが亡なくなりました。

8月がつ12日にち(水曜日すいようび)で事故じこから41年ねんがたちました。墜落ついらくした場所ばしょ「御巣鷹おすたかの尾根おね」がある群馬ぐんま県けん上野うえの村むらで8月がつ11日にち(火曜日かようび)、灯籠とうろう流ながしがありました。灯籠とうろう流ながしとは、灯篭とうろう(日本にっぽんで使つかわれている昔むかしのあかり)を川かわに流ながして、亡なくなった人ひとのことを考かんがえることです。全国ぜんこくから集あつまった亡なくなった人ひとの家族かぞくなどが事故じこで亡なくなった人ひとに祈いのりをささげました。

神流川かんながわには、「お父とうさん 今年ことしもここであなたと話はなしましょう 一いち年間ねんかん見守みまもってくれてありがとう」「この事ことを二度にどとわすれられませんように」などと書かかれた灯籠とうろうが流ながされました。

会社かいしゃ員いんの小山こやま健太郎けんたろうさんは、その時とき2歳さいでした。親戚しんせきの4人にんが事故じこでなくなりました。同おなじ年齢ねんれいのいとこと「また会あおうね」と話はなしたのをよく覚おぼえています。川かわに浮うかぶ灯籠とうろうを見みながら「今年ことしも会あいに来きたよ。みんな元気げんきにしているから」と伝つたえました。

「事故じこの悲惨ひさんさを直接ちょくせつ知しるのは、自分じぶんたちの世代せだいがギリギリ」。事故じこのことが忘わすれられていくのを感かんじていますが、「空そらの安全あんぜんのために語かたり継ついでいきたい(飛行機ひこうきの安全あんぜんのために、話はなし続つづけていきたい)」と話はなしました。

これはアルファサード編集へんしゅう部ぶ独自どくじ記事きじです。

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