リアルな体験からの感動が、学びの原動力 大平貴之さん(プラネタリウム・クリエーター)/【特集】小学生・中学生と保護者のための自由研究
夜空に瞬く無数の星のように、子どもたちの自由な発想を広げてあげることが、「自由研究」の最初の一歩かもしれません。数千万個の星を投影させるなど、プラネタリウム界の常識を打ち破り続けてきたプラネタリウム・クリエーターの大平貴之さんに、その発想の源を教えていただきました。
大平貴之
プラネタリウム・クリエーター。小学生のころからプラネタリウムの自作に取り組み、1998年には、これまでの100倍以上にあたる150万個(最終形は170万個)の星を映し出す「MEGASTAR(メガスター)」を発表し、世界中から注目を集めた。その後も開発を続け、2008年6月には投影星数2200万個のSUPER MEGASTAR-IIを発表。エストニアのタルトゥに360度全天球プラネタリウムを設置するなど、海外でも活躍中だ。
1年を通して「自由研究」に熱中
「自由研究」ということであれば、僕は夏休みに限らず、1年中、何かを「自由」に「研究」しているような子どもでした。最初の記憶は、小学1年のとき。まず興味を持ったのは植物です。学校でアサガオの種をまいて、双葉が出たときはうれしくてね。自分の家でもヒマワリを育てて種を収穫するなど、いろいろ試したものです。
その次に熱中したのはカメラだったのですが、これは学研の学習雑誌『科学』の付録として手にしたのがきっかけでした。とにかく「写る」というのが楽しくて、被写体は何でもよかったですね。いっしょについていた印画紙や感光液を使いきったあとは、カメラ屋さんに行って買い足したほどです。
家にある昔のネガフィルムを印画紙に焼いたら、フィルムと同じサイズの小さな写真ができて、最初はそれだけでビックリです。こうなると次は引き伸ばしてみたくなる。でも引き伸ばし機は何万円もするから子どもの手には届かない。じゃあ自分で作ればいいや、ということになりました。試行錯誤を繰り返しつつも、結果的には完成させました。自分で作ったという話をすると驚かれますが、僕にとってはごく自然な流れなんです。だってないものは作るしかないんですから(笑)。
そういえば小学3年のときに、青写真の感光液を自分で作ろうとして、必要な化学薬品を薬局に取り寄せたこともあります。子どもの小遣いではちょっと高かったので、親を口説き落として、ねばりぬいてやっと買ってもらったんですよ。あれはうれしかったなあ。「ああ、やっと手に入った」って(笑)。
今では考えられない危険な実験も
それからも天文学、地学、化学など、次から次へと興味のおもむくままに首をつっこみ、自分なりの実験や研究はどんどんエスカレートしていきました。鉱物に興味を持てば、水晶を採取しにひとりで山梨県の山奥まで行ったし、鉱物の自然放射線量を測って理科の先生に怒られたりもしました。「中学生のやる内容じゃないだろう」って(笑)。ロケットの設計図を書いて実際に飛ばそうとしたり、時には花火を自作するという、危険な実験をしたこともありました。
今はもう、こういうチャレンジはしにくいでしょうね。僕が子どものころだってすでにうるさい時代だったけど、それでもある程度なら見て見ぬふりをしてくれる大人がいたんです。そんなにやりたいのなら、見なかったことにしてやるよ、という、ふところの深さがあったような気がします。もっとも花火のことを知った親戚のおばさんは、ものすごい剣幕で怒っていましたけど(笑)。
あらかじめお膳立てされた安全な実験というのは、プロセスを理解する上ではとても大切なことです。ただそこだけで終わると、それは研究ではなく実験の追体験をしたにすぎません。そこから次のステップに踏み込むためにも、親の目が届く範囲で、子どもに自由にやらせてあげてもいいと思うんです。
うちの親もいろいろ悩んだでしょうが、当時の世間一般の感覚に比べると、はるかに寛容でした。ただあまりにも僕が学校の勉強をそっちのけにして、自分のやりたいことだけをやっていたので、科学実験を一時期禁止されたことはありましたけどね(笑)。
すべての学びの原動力は「感動」
これは科学実験に限らないのですが、知識として知っているのと、実際に目の前で見るのとでは、そこから得る情報量は何千倍も違うような気がします。僕が子どものころに化学薬品をほしがったとき、よく言われたのが、「教科書に結果が書いてあるし、写真も載っている。それを見れば十分だろう」ということでした。
でも細かいディテールやそこで起こる現象は、本や資料では伝えきれない。特に決定的に違うのは匂いや熱の感覚です。そういったものを、時には痛い思いをするかもしれないということも含めて、五感で感じ取ることが大事なんです。
といっても、ネットの動画や写真などのバーチャルを否定するつもりはありません。手軽に見ることができるので、きっかけづくりにはとても役に立ちます。どんどんバーチャルを見て、「これは」と思うものがあったら、ぜひリアルでも体験してほしいですね。
僕がリアルな体験にこだわるのは、そこには必ずビックリすること、感動することがあるからです。僕はすべての学びの一番の原動力は、「感動」だと思うんですよ。たとえば花や星を見て「きれいだな」と感じた。あるいは友だちにやさしくされてうれしかった、逆に悲しいことがあった。そういういろんな意味での「感動」が心に刻まれると、「この気持ちはなんだろう」と思う。それが「学び」の原動力になるんだろうなって。
ただ、注意しなくてはいけないのは、感動するポイントは人によって異なるということ。僕がいくら「星がきれいだね」って言っても、その子は足元をはっていく虫のほうに感動するかもしれない。「星なんかどうでもいいよ、この虫の触覚の形がすごいんだよ」って(笑)。それはそれでいいんですよ。
僕は子どものころ、科学実験に夢中だったけど、そういうことには全然興味を持てない子も当然います。でもそういう子は、もしかしたらサッカー選手になるかもしれない。また、熱中しているものが何もなくても、友だちから信頼されていて、いつも学級委員に選ばれる子もいます。子どもっていうのは、ある程度、生まれついての特性があるような気がします。神様から授かったベクトルのようなものです。なるべく早いうちに自分でその方向に気づくか、あるいは親がその方向に自然に向かうよう導いてあげてほしいですね。
そのためには片っ端からいろんなものに出会って、おもしろいなと思ったらグワッと入っていくのがいいと思います。
自由研究のテーマを選ぶ時も、同じではないでしょうか。本を読んだり、いろんなものを見たり、旅行に行ったり、そういうことをしているうちに感動するものを見つけられたらいいですよね。
プラネタリウムとの出会い
僕がプラネタリウムに目覚めたのは、小学校の高学年ごろ。近所の科学館でした。僕はそれまで、きれいな星空というのを見たことがなかったので、プラネタリウムを見て「これはすごいな」と。
「富士山のてっぺんではこんな風に見えます」という解説を聞きながら、ぜひ本物を見てみたいと思いました。
ただ、その時の僕にとっての「本物」はその科学館のプラネタリウムで、そこに感動したから、プラネタリウムを自分で作ってみようということになったんです。小学5年のときには、ピンホール式のプラネタリウムを作って、友だちや家族に見せていました。
子どものころには興味の対象がたくさんあっても、成長するに従って絞り込まれていくものです。僕の中で最後まで残ったのは、ロケットとプラネタリウムでした。ただロケットの場合、たとえ宇宙工学分野に進むことができたとしても、企業やJAXAのような組織に入ることになります。そんな組織の中で、自分のやりたいことをやるというのはなかなか難しい。僕としては自分の思い通りにやりたいという気持ちのほうが強かったので、消去法ではありますが、プラネタリウムの開発を選びました。
もうひとつの理由としては、プラネタリウムを作るにはさまざまな分野の知識が必要だということでしょうか。子どものころから実験で培ってきた幅広い知識が生かせるというのは、僕にとって相当おもしろいことです。
プラネタリウムに託す思い
どうして何百万個もの星が写るプラネタリウムを作ってきたのかというと、やはり宇宙には無数の星があることを、人々に感動をもって伝えたいからです。知識としてなら「銀河系には1千億個の星があります」…このたった1行で終わらせることもできます。でもそうじゃなくて、バーッと広がる星空を体験してほしいんです。
そうして宇宙の無限のスケールと、その中にある地球はごくありふれた星のひとつにすぎないことを、子どもたちにも実感してほしい。我々はなぜこの地球に生まれてきたのか、ほかにも文明を持った星があるんじゃないのか、それならどうしてどこからも連絡がないんだろう…。
わずかな情報を伝えるだけで、子どもはさまざまなことを考えます。「どうしてなんだろう」「こうだろうか」「ああだろうか」と空想を自由に広げていく。こういうことが自由研究のきっかけになるんじゃないでしょうか。
だから今は、けた外れに大きな空間で投影できないかなと考えています。たとえば、草の上に寝そべって見上げるような、海の匂いや風を感じることができるような広い空間でのプラネタリウム。ぜひ近いうちに実現させたいですね。