メニュー閉じる

「自由研究」って何のためにあるの? 視点で変わる驚くべき価値とは【専門家に聞く】

「自由研究」って何のためにあるの? 視点で変わる驚くべき価値とは【専門家に聞く】

小学校の夏休みが近づくとともに、今年はどうしよう……と悩み始める「自由研究」。目的がはっきりしている絵日記やドリルと異なり、テーマ探しから始めるために頭を悩ませる子どもや保護者も少なくありません。

そもそも自由研究は、何のためにあるのでしょうか。学校教育の歴史に詳しい青山学院大学の木村 元先生に、自由研究誕生のきっかけや意義、保護者の関わり方について伺いました。

「自由研究」は“好き”を探究する貴重な学びの機会!

「自由研究は自分の好きなことをいちから考えられる絶好の機会。なぜなら、自由研究のように、何をどうやるのかも決まっていない宿題は、自分が本当に好きなことを探さないとできないものだからです」(木村先生)

もともと、子どもは好奇心が旺盛ですが、自由研究を通して見つけた“好き”に対して、深掘りしていくことでさらに知的好奇心が養われていくと木村先生は語ります。

「自分で決めて最後まで成し遂げる経験ができるのが、自由研究の強み。達成経験は成長する上でその子の糧になりますし、それが人生の指針へとつながることもあります。

自発的に考え、“自分の力で考え工夫する力”こそが、将来大人になったときの課題解決や新しいアイデアや価値を生み出すことにもつながっていくのではないでしょうか。

ところが現代の小学生は、夏休みも習い事や塾で大忙し。でも、子どもを忙しくさせているのは他でもない大人です。もちろんこれは子どものためを思う善意によるものですが、親は社会を見ているので、将来に役立つものを優先しがちです。

たとえば、これからの社会に“英語”が必要だという情報を聞けば、英語を学ばせねばと先取って与えてしまいますよね。そうなると、当然優先順位が低くなる。自由研究を手早くすませてしまいたいと思う保護者の方が多いのが現実です。

しかし、学校や親が与える教育の機会だけでは、枠にはまらないような子どもの可能性を見つけ出すことができません。今の社会こそ、自由研究のような親子で子どもの興味関心に向き合う時間が必要だと感じています」(木村先生)

じつは“教科”だった!? 当時の「自由研究」の目的

自由研究の歴史は古く、1947年(昭和22年)の「学習指導要領」に盛り込まれたのが始まりとされています。

当時は夏休みの課題としてではなく、算数や国語と同じように、教科のひとつとして組み込まれていたと木村先生。

「学習指導要領は、学校でどのような教育を行うのかを国が定めた基準や指針を描いたもの。

ですが、当時の資料を見ると表紙に”試案”という文字が記載されているとおり、各学校がそれぞれ工夫をこらし、中身を決めてほしいという願いが込められていました。今よりも教育の自由度が非常に高かったんですね。

その根底にあるのが、『経験主義教育』です。これは、子どもに経験をさせて関心があるものをピックアップして先生が教えていく、という考え方です。

だからこそ、児童の自発的な活動を誘い学習を進めていく自由研究が、国語や算数のように、教科として共存できていたんです」(木村先生)

戦後、日本の学校教育はさまざまなシフトチェンジを経て今に至っている
戦後、日本の学校教育はさまざまなシフトチェンジを経て今に至っている

その内容は多岐に渡り、学級当番の活動やクラブ活動も含まれていたのだとか。

「授業では教える内容が決まっていますが、習うものを習っただけでは満足できない子どももいます。

たとえば、音楽の授業で『もっと違う楽器を弾いてみたい』という好奇心が生まれたり、理科の授業で『なぜ酸素が燃えると火になるんだろう』という疑問が生まれたりするのもそう。

子どもの知的好奇心に対して、もっと考えたい、もっと実験したいという子どもの思いに応え、自由に勉強させてあげようという目的で自由研究という時間が設けられました」(木村先生)

4年で“教科”からの削除。その後夏休みの課題に

こうして始まった自由研究は、4年後の1951年(昭和26年)には、学習指導要領から削除されてしまいます。

「子ども全員の関心をひとつの授業で受け止めようとする自由研究は、個別対応が必須。当然枠に入らなくなってしまうことが起きてしまうばかりか、教師の対応もとても難しいものでした。

そして時代は高度成長へと向かい、社会が変化していく中で、『知識というものをしっかり与えていくことが大事なのでは?』という風潮が出てきます。

子どもが楽しいだけではカリキュラムが成り立たない。自由研究のような学び方は理科や算数といった通常の授業の中で行うという揺り戻しもあって、教科から消えたのです」(木村先生)

わずか4年間しか続かなかった自由研究ですが、その後、夏休みの宿題として復活。その理由を木村先生はこう推測します。

「学校は、学習指導要領に基づき、子どもの教育を準備してそれを教えるわけですが、それだけで子どもが成長するわけではありません。

自分がやりたいことを自分なりにやって理解するという経験主義教育の重要性を、自由研究に見出していたからこそ、今も残っているのだと思っています」(木村先生)

テーマは意外と身近に! 親子の有意義な時間にしよう

自由研究で難しいのがテーマ探し。保護者は、完成形の見栄えにこだわるのではなく、子どもの「好き」や「調べてみたい」という探究心の種を見つけることが大切だと言います。

「たとえば、食事ひとつにしても、お子さんがきゅうりが好きなら『なんできゅうりは美味しいと思う?』と聞くことで話が広がりますし、子どもが本当に好きなものを自覚するきっかけにもなります。

今後社会で役に立つなど遠巻きの目で見るのではなく、小さな経験に目を向けてあげましょう。そういう自然な流れの中で、親が『これはね……』と話を広げていくのもいいですね。実は日常の中に自由研究のテーマとなるヒントはたくさんあるんですよ」(木村先生)

また、親が自由研究を面倒だと思う気持ちは、たちまち子どもにも伝わってしまうと木村先生。自由研究への取り組み方にも悪影響が出てしまうので注意が必要です。

「親の背中を見て育つ子どもたちにとって、親自身の『自由研究』に対する考え方や、興味関心に対する向き合い方は影響力が強いもの。

親がネガティブに捉えていたら、子どもはすぐに見透かしますし、反対に、楽しそうに自分の好きなことを追及していれば、子どもはその姿を見て、『それは何?』『なんだかおもしろそう!』と興味を惹かれることだってありますから。

日々忙しく働いている親御さんにとっても、夏休みの自由研究は心持ちを変える大きな転機になると思います。

自由研究を通して、子どもは好きなことを見つけて深掘りし、親は子どもを知ることができる。自由研究は子どもだけでなく、親にとっても貴重な機会。ポジティブな捉え方をすると、非常に有意義な学びの時間になるはずです」(木村先生)

 

取材・文/末永陽子 編集/石橋沙織 撮影/鈴木謙介

木村 元(きむら はじめ)さん

木村 元(きむら はじめ)さん

木村 元(きむら はじめ)さん

東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。一橋大学 社会学科研究科教授等を経て、現在は青山学院大学 コミュニティ人間科学部で特任教授。一橋大学名誉教授。教育学・教育史を専攻。代表的著作は『学校の戦後史』(岩波書店)、『境界線の学校史』(東京大学出版会)など。

PAGETOP