選択は取り戻せる? 伊沢拓司さんの「選び続ける」考え方【伊沢式スクールライフ第6回】

クラスの係を決めるときや、新しい習い事を始めるとき。続けてきたことをやめたいと思うとき。子どもたちは日々、さまざまな「選択」を重ねながら学校生活を送っています。
この連載では「学校生活」をテーマに、QuizKnockの伊沢さんに、子どもの頃の思い出とともに、子どもたちや保護者に伝えたいメッセージをうかがっていきます。
「選択は人を表す」と伊沢さん。その心とは? 学校生活のなかで向き合ってきた「選択」のエピソードとその経験で得た価値について、語ってもらいました。
サッカー部に入る? 入らない? 「選択」によって僕は、あきらめることを学んだ
小学校生活の中で1番心に残っている選択は、小学校4年生のとき。サッカー部に入るか入らないかを決めたときかな。
当時の僕はサッカーが好きで、サッカー部は「いちばんかっこいい」と思っていました。
ただ一方で、実力的にはサッカー部のメンバーほど上手ではなかったし、習い事もあって忙しくなりそうだな、とも感じていて。
サッカー部に入れば、みんなの前で格好もつく。いいなと思っていたんですが、実力的についていける自信がなくて入らなかったんです。
人生で初めてあきらめることを学んだタイミングとも言えるかもしれません。ちょっとコンプレックスにもなったような体験でしたね。
だからといって、サッカーと“さよなら”の人生を歩むわけではありません。
選択の場面では、その選択によってすべてが決まってしまうように思えるけれど、選択のあとにもまた選択の機会があるんですよね。
「4年生のときにサッカー部に入らなかった」という選択は、後戻りはできません。でも、中学校でサッカー部に入ることもできるし、実力的に追いつかないと思うなら、別の場所でサッカーをする選択肢もある。ひとりで練習することもできます。

僕の場合は、中学校でフットサル部に入りました。
すぐやめちゃったけど、そこでやることを見失った結果クイズに出会えたので、人生何が起こるかわかりません。どんな選択にも、あなたの予想を超える未来が待っているはずです。
迷うからこそ選択には「責任」が伴う。選択は自分に向き合う作業
部活動もそうですけど、クラスでの係や委員会活動といった自分で選んだ活動は、自然と責任が生じますよね。
選挙などで決まった場合は、選ばれた責任が生じる。
僕は「選択」におけるキーワードは「責任」なんじゃないかなと思っているんです。
決めた責任、決められた責任が生まれるからこそ、自分の選択が自分に見合っているのかどうか、自分に適切なものなのかどうか、みんな迷っていくわけで。
サッカー部の話のように、やりたいこととやらなきゃいけないことの狭間で迷うとき、問われているのは、続けられるか、楽しめるかということ。
自分で責任が持てるかどうかで考えたときの「迷い、選択、責任」の関係は大人だって同じですよね。選択の本質は子どもも大人もあまり変わらないんじゃないかな。
ちなみに、僕はすっごく迷うほう。お店でもなかなか食べるものが決められないですし(笑)。
それもまた、期待外れだったときに、選んだ自分に自責の念、「お前なんでミスったんだよ〜」という気持ちを覚えるからなんですよね。フットサル部をやめたときもまた、かなり落ち込みました。
でもそうした責任意識や落ち込み、迷いもまた、「ギリギリまでより良い選択を目指した」結果なので、諦めない気持ちを持ち続けた、素晴らしい性質だと考えることもできるんじゃないでしょうか。迷うことは、素敵なことです。

ただし、いつまでも決めないで、ああだ、こうだと外から言っている状態は問題ですよね。物事が前に進まないし、決めた自分に対する責任から逃げることにもなる。
だからこそ決めどきは大事。必要なタイミングが来たら決断する、もしくはそのタイミングを自分でちゃんと決めて守れるという「決め癖」は、その選択が正解だったかどうかより大事な力で、大人になってからも使える資質です。
もちろん「選ばない」「その選択から逃げる」も選択のひとつ。「逃げる」は「保留」とは違うと思っています。
失敗したら振り返る。選択に続く選択が、その人の人生をつくっていく
迷って迷って選択した結果、うまくいかなかった経験は僕にもあります。そういうときはまず「自分のせいだな」って考えます。
あれが悪い、これが悪い、誰それが悪いと文句だけを言っていても物事の本質には気づけない。自分自身のよくなかった点を考えるように気を付けています。
そのうえで、「たぶん自分のせいじゃない部分もあるぞ」とか「ここについては意外と俺は悪くないな」といった冷静に分析することも大事にしています。
なぜなら、雑に「わ~、ミスっちゃった! 自分の責任だ!」となんとなく片づけてしまうと次に生きない。
失敗の分析ってしんどいときもあるじゃないですか。だけど、ショックを受けたときほど必要だと思っていて。適度に反省したほうが「はい、これで終わり!」ができる、というのもありますね。
なので僕は、高校生くらいからメモを使って、書きながら反省するようにしていました。
頭でぐるぐる考えるよりも、自分の考えを客観的に見ることができますし、「ある程度考えたな」という満足感もありますから。

振り返ってみると「選択」において、僕は安心感が得られるほうを直感的に選ぶタイプ。その選び方は子どもの頃からず~っと変わっていません。部活動もそう、学校の進学先もそう。
「選択」という行為から、僕の人生、僕の性格が見えてくるなとつくづく感じますね。
ちなみに、僕の人生で、唯一、自分らしくない不合理な選択は「QuizKnock」(の立ち上げ)でした。
だからこそうまくいったのかなと思うと、最近はちょっと合理的じゃない選択もしてみようかな、と。じゃないほうの選択が、自分の可能性を拓いてくれることも、意外とあるんじゃないかと思っています。
取材・文/森下真理 編集/石橋沙織(キッズネット) 写真/鈴木謙介 デザイン/曽矢裕子













